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辛い と 言え ない

  • Writer: Rolf Reeves
    Rolf Reeves
  • Oct 30, 2023
  • 18 min read

親に人生がつらいと言えないです。

あなたが親に言うことができないのには様々な理由があるのでしょうね。今までの親子関係もあるのかと思います。もしもそのことをあなたがお話しなさったなら笑われたり怒られたりしてしまうのでしょうか…。 宜しければあなたの思いや状況について教えて下さいね。オンラインでもお話を伺うこともできますので可能な範囲でおっしゃって下さい。あなたを心よりお待ちしております。 あなたは決して独りではありません、あなたそう思ってしまうことはいろんな理由があるでしょうし自然なことでもあるのです。人間生きている中では辛いとおもってしまうことはけっこうあるものです。毎日生きていて人と関わる中ではどうしてもストレスになってしまうことはありますからね。 あなた独りでそのストレスや辛い思いを抱えずにどうかお話なさって下さいね。 あなたがその思いをお話なさる中で少しでもストレスが解消されて心が軽くなっていきます様に、毎日を心おおらかに生きていくことができます様にと心より祈っています。そしてあなたを心より応援しています。

質問者からのお礼

Kousyo Kuuyo Azuna様 回答ありがとうございました。 頑張って親に話してみようと思います。

生きたくない

仕事をやめ、今は無職なのですが今まで過去にあったことをふと思い出す機会が多くなり、外出が困難になりました。 実家に戻り休んでいますが、この先生きていて何がいいのかわかりません。 仕事もできない、人間関係も維持できない、結婚もできない、私のような人間はいなくなってしまったほうがいいと思うんです。 度々死のうと計画的に実行したこともありますが、思いきって振り切ることができず諦めてしまいました。 これから先いいことあるや、自○したら永遠に地縛霊として残ることになると脅されたことを言われますが、そういうことはないと思っているので、生きていくことが自分にとって良いことのように思えません。

ベストは尽くしたと思います。

43歳男性です。 事の起こりは親の都合から治安の悪い所へ引っ越しをした事に始まります。 そのすぐ後に中学校でいじめを受け、重度の不安障害を発症し、 引きこもり生活が始まり、人間やこの世界が本当に嫌いになって13年が経ちました。 しかしながら、ただ1人の友達との繋がりが僕の心をなんとか救ってくれました。 そこからは少し活動的になりなんとか持ち直しました。 26歳ごろから、親の会社を継ぐための他社への研修や会議などに行きはじめ パワハラや村八分を受けながらも ストレスで目が開かなくなって病院に運ばれるまで必死に頑張りました。 会社に関わる事なので勝手なことは出来ず、少し休みたいと父親に相談してみましたが、子供の頃のいじめの時と同じで我関せずでした。 僕が首を吊った後も父親は笑っていました。 僕はそれをわすれる事ができません。 そのすぐ後に鬱病を発症して寝込むことが多くなりました。 そんな状況にも関わらず、いつもトラブルを起こす姉が マンションのローンの未払いから、マンションを追い出される寸前となり、 鬱で寝込んでいる僕にローンを組んでくれないかと催促。 73歳までのローンでした。 父親も「俺はローンを組めないから組んでくれ」と。 「姉が支払えなくなったらどうするの?俺の人生もある。」と訊ねると 「そんな事は親兄弟で考えるもんじゃない」と言われ・・・。 「ああ・・・コイツは俺を見てないんだな・・・」 僕の中で心の糸が再びプツンと切れました。 それからも、人生が180度変わるような大きなトラブルばかりを、父と姉に起こされ続けました。 それでも、僕は寝込んだ体と心に鞭を打ってフラフラになりながらも奔走しつづけました。 さすがにもう限界で この1年は父と姉との縁を完全に断つために必死で動き続けました。 結果的には、縁を断つことに成功はしたのですが本当に疲れ果てました。 ちょっとした知り合いに「そんな昔の事を」とも言われました。 でも、僕が心の欠片を必死に集めて直しても 父と姉が粉々に砕き続けてくる状況で。 トラブルを起こされてばかりの人生でしたが、僕なりのベストは尽くしたと思います。 でも、そろそろ限界です。 本当に本当に疲れ果てました。

もう疲れました

はじめまして。 心が疲弊しきって、疲れました。 疲れて疲れて、もう何も考えたくありません。 私はいつ心の休息を取れるのでしょうか。 どうしたら楽に生きられるのでしょうか。 私は、高校二年生ぐらいからの1年間、心の疲労感に苦しんでいます。 例えるなら、やる気を起こそうとしてもブレーカーが落ちているように、何かをやろうとしてもできないのです。 一緒に暮らしている母親には、今までに2回ほど相談しましたが、母にとっては理解のできないことらしく、まともに話を聞いてくれません。 話しても、私が怠けている事を正当化しているだけだ、甘えるなと言われます。 父親は単身赴任中で、相談しにくいです。 友達にも相談できません。 相談をするのが怖いです。 ずっと心の疲労感が続くので、流石に我慢の限界が来てしまったように感じます。 私は、真面目すぎて人の顔色を伺いすぎてしまうため、無意識に自分の考えよりも相手を優先し、自分自身を苦しめ続けていたのだと思います。 自分の心が傷つくこと対しても、過度の恐怖感があり、いつもクタクタです。 でと、それを分かっていても何も解決しません。この1年間何度も何度も試行錯誤し、どうしたら自分が楽に生きられるのか考えてきました。 結果は大して変わりませんでした。ずっとずっと、私の心のブレーカーは落ちっぱなしです。 これから大学生になり、社会人になり、今のままで大丈夫なのだろうかと不安になり、ここで相談したいと思いました。 私はどうしたら、疲労感を取り除き、毎日を楽しく過ごすことができるのでしょうか。顔色を伺い続け、傷つかないように必死に生きてきましたが、もう限界です。

生きるのに疲れました

昨日(8/23)、仕事を無断欠勤(就業2日目)して青木ヶ原樹海に行きました。朝起きて、ふと、この生活がまた続くのかと思うと疲れてしまいました。 今日(8/23)を最後の日にしようと、車で向かいました。しかし、死ぬ為の準備すらできず、一旦帰宅しました。 支払いが滞っているのに、仕事をしたくないです。頑張りたくないです。どう生きていけばいいでしょうか。

疲れました。

母が6月に亡くなりました。母の希望で近い人だけの家族葬でした。 初盆まで無事に終わりましたが、その間に色々な行事で顔を合わせることが多かったせいか、身近な周りの人たちの人間関係で、誰と誰が仲が良いのかわかるようになり、そして私はどの輪の中に入っていないことに気が付きました。 それなりに、つながってると思ってた甥や姪も遠くに感じ淋しくなりました。 一人が嫌いなわけではないですが、ひとりぼっちはやっぱり淋しいです。 親は小さい時に離婚して幸せな家庭ではなかったし、私には子供もいません。 夫婦仲も良いとは言えません。 自分では一生懸命生きてきたつもりなのに、これが今の現実なんです。 どこで何を間違えたのか、生まれ持った性格や、生き方が悪いのか… 病気ばかりの人生でした。それでも本当に一生懸命笑って生きてきました。 でも疲れました。 これから歳を重ねていっても、本音で話せる人もなく、なにを楽しみに生きるのか全くわかりません。

自分だけが大変そうな気がしてます

おはようございます。 お忙しい中、お世話になります。 最近、何人かの友達からゆったりした生活してる。という話を聞きました。 私はと言うと何も以前と変わってなく、毎日バタバタ慌ただしい生活で、自分の家の事、仕事だけでもキツいのに実家の母、精神疾患の弟の事まで考えなくてはいけません。 本当は自分の事を優先に大事にしたいのに一番後回しにしてる感じです。 もちろん少し離れてる所にいるすぐ下の弟夫婦も色々してくれてますが、近くにいる私がやはり実家の事とか気になって行く事が多いです。 頭の中はいつも実家の弟、母の事で次はこうして、あれして…と考えてます。 もう疲れました。 私は自分自身こんな人生になるなんて考えもしませんでした。 周りの友達が今日は羨ましく思いました。 思ってはいけないと自分に言い聞かせてましたが、何で私だけこんななの??って怒りと悲しみと… いつかは母も居なくなるのは分かってるけど、 でも弟がいます。 ずっと私は生きてる間、弟の心配をしながら生きていくのか… すみません。今日は本当に自分の人生に落胆した感じです。 他にもたくさん私以上に大変な人はいると分かってはいますが、悲しくなりました。

摂食障害と家族

私は10年程前から摂食障害です。 拒食症になり休職と転職を繰り返しています。 一時は通院していましたが改善しなかった為現在は通院していません。 毎日過食と自己嫌悪です。 両親達と同居していますが、家族からは理解されず毎日辛いです。 生きている事が辛いです。 どうしたらいいかわからないです。 全てに疲れました。 役立たず人間に優しいお言葉宜しくお願い致します。

ただ弱音を吐かせてください

上手く相談の文章にすることが出来ませんでした。ただの弱音です。本来の目的とは違うとは思いますが安心して書ける場所がここしかなかったので失礼します。 なんにも頑張れません。頑張ろうと自分ではしていたのですが、頑張ろうとしない人、ただの甘えだと思われることにも疲れました。 一日一日が早く終わればいいのにと思ってすごしています。 毎度毎度、ハスノハの方に優しくお返事頂いてるのですが現在なんにも頑張れてません。 今すぐに、◯んでしまいたいほどの強い気持ちはないのですがこの先を生きていく気持ちになりません。気休めのような言葉が欲しくて、このような相談をしている自分自身にも嫌気がさしています。 家族間の話で詳しくは書けないのですが、自分自身で協力できることはしているつもりでした。自分でできる限界まで我慢したつもりでした。自分のやりたいことや気持ちも極力我慢して家族に協力しているつもりでした。でも、それももう限界になりました。これ以上は耐えられないところまで自分の心の状態が悪くなりました。 私以外の人間は努力して生きていて貴方だけがずっとサボっていると言われているような気持ちで生きています。それならば一日でも早くこの世を去りたいとさえ思ってしまいます。こんな考えも含めて甘えであり、みんな辛い中生きているんだから耐えられない自分が悪いとも感じます。 また、自分自身が辛いと感じてるはずなのですがそれを人に伝えることができません。 辛いときに、自分で気持ちを抑えようとするから悪いんだと考え、人に気持ちを話してみようと思ったりもします。 しかし自分の伝え方が下手なので上手く言いたいことが話せないことが多いです。そこでまたコミニケーションが苦手な自分を責めて辛いです。 まとまりのない内容ですし、読んでいて気持ちの良い内容では無いですが失礼します。

飛び降りたい…

金の事で散々悩んでて、最近死ぬ事しか考えられません… 今は結構な極貧生活を送っており、給料日もかなり先です。 仕事でもかなりの役立たずで、友達も頼りになる家族も一切おらず… もう人生詰んでるのにも関わらず、死ぬ勇気が持てないし、希望も持てない。 これが有ればこんな地獄から抜けられるのに持てません…もう飛びたい…

苦労ばかりの人生

ずっと人生が辛いのです。 私自身はありがたいことに、心身ともに健康にいますが、幸せがなかなか手に入らないというか、人生で普通の方があまり経験しないことが降りかかってきて、辛いです。 幼少期から父親は酒乱でDV家庭で育ち、 夜逃げのような形で父から離れました。 母は強く唯一の理解者で、母と支え合いながら生きてきましたが昨年ガンで亡くなりました。 娘が2人(1歳、3歳)いますが、 下の子を出産し世話をしながら大切な母を在宅で看取りました。 結婚生活では主人は以前から患っていた精神病を隠して結婚し、 仕事をしては精神崩壊し、精神興奮を伴うので何度も実家に帰って、家庭が崩壊し、連絡のない状態がつづいています。 身寄り、頼る人がいない状態で娘2人を何とか育てており、 この波瀾万丈な人生が呪われており、これからもずっと辛い思いが続くのではないかと、生きていることが辛くなってきました。 頑張っても頑張っても幸せになれません。 どうしたら良いのでしょう。 みんなの普通が手に入らないんです。 普通の生活を望むことが、おこがましいでしょうか。。

つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。

●新聞で紹介されました。 《本書が出色なのは、「医師のヨウスケさん」と「心理士のワカバ」さんという、「自分を助けられない人助けのプロ」を主人公にしているところだ。……分厚い鎧を一枚ずつ剥いでいくそのプロセスは臨場感に満ちていて、思わず手に汗握ってしまう。解説書なのにドキドキハラハラ、実況中継を聴いているようで一気読み必至。》――伊藤亜紗(東工大准教授・美学者) (『読売新聞』2017年12月10日 読書欄 より)

更新情報

序文

私はなぜこの本を書いたのか―長いまえがき(抜粋)

私は臨床心理士で、「認知行動療法 Cognitive Behavior Therapy:CBT」という心理療法(セラピー)を専門に、臨床実践を長らく続けてきています。二〇〇四年からは東京都大田区にて「洗足ストレスコーピング・サポートオフィス」というカウンセリング機関を運営しており、多くのクライアントが認知行動療法を受けに通所されています。

泣いたり笑ったりできれば、まだいい さて、前著(『ケアする人も楽になるマインドフルネス&スキーマ療法』)でマミコさんの物語を書き終わったとき、私は考えました。「さて、次にどうしようか」。

「つらい」と言えない二つのタイプ ところがBPDを抱える人以上に、はるかにそれができない人たちがいます。すなわち感情を感じられない、特に「つらい」「傷ついた」「怖い」「寂しい」「腹が立つ」といった、いわゆるネガティブな感情を感じたり、表現したりすることが本当に難しい人たち。

「感じる」とは生きていること このような「自分のつらい感情に気づけない」「つらいから助けてと人に言えない」ということが一〇〇パーセント悪い、とは言いません。つらい感情に気がつかず、つらいと人に言えないまま、人生や生活や人間関係が特に破綻することなく、一生を過ごす人だって少なくないと思います。それも一つの生き方で、私がとやかく言うことではありません。

上から目線のややこしい人 ヨウスケさんは「背中の痛み」を訴えて、私のところにCBTを受けにきました。「え!? なぜ背中の痛みなのに心理療法?」「背中の痛みなら整形外科に行けばいいんじゃないの」と思われるかもしれません。もっともな反応です。

自己愛性パーソナリティ障害とは ヨウスケさんは精神医学的には「自己愛性パーソナリティ障害 Narcissistic Personality Disorder :NPD」と診断される可能性があります。自己愛性パーソナリティ障害(以下NPD)の特徴は「本当は心がうんとつらかったり心細かったりするのに、それを自分で認められず、つらさや心細さを隠したり、それらに対処したりするために、かえって不健全な自己愛で凝り固まってしまい、それによってさまざまな不具合が生じたり、対人関係がうまくいかなくなったりする」というものです。

BPDの次はNPD 実はスキーマ療法の世界では、BPDに効果があるのはすでに当然のことであり、次の治療的ターゲットとして、このNPDが注目されています。実際、私は仲間とともに、数年前に二回に分けて米国にスキーマ療法の短期研修を受けに行ったのですが、一回目のテーマがBPD、二回目のテーマがNPDでした。BPDよりさらに困難なケースとしてNPDに焦点を当て、NPDに対してどのようにスキーマ療法を適用していくか。このことを、講師によるレクチャー、講師や受講生たちとのディスカッション、受講生同士のロールプレイなどのワークを通じて学んだのでした。

自分自身がおろそかになってしまう人 自分の感情を抑え込むもう一つのタイプとして先に挙げたのが、「自分の感情より他人の感情を優先して、他人の世話ばかりしてしまう人」でした。本書ではこちらのタイプの「ワカバさん」という、これもまた四〇代の女性が登場します。

多くの援助者に共通する特徴 ワカバさんは私と同じ臨床心理士で、CBTを学ぶためにスーパービジョンという教育的なセッションを求めて来所しました。すなわちセラピストとして、担当するクライアントのために、より効果的なセラピーを提供できるようになることを目的に、私のところにやってきました(「クライアントのため」というのが、すでに自己犠牲的ですね)。

ヨウスケさんもワカバさんも一つのサンプル 一つだけ注意点を。本書ではNPD的なクライアントとしてヨウスケさんという医師を、そして自己犠牲的なクライアントとしてワカバさんという臨床心理士を、物語の主役に据えましたが、これらはあくまでもフィクションです。私がこれまでに経験した事例や学んだことを通じてつくり上げた物語です。

目次

第1章 ヨウスケさんと行ったマインドフルネス 1 ヨウスケさんとの出会い 2 背中の痛みのセルフモニタリングにトライするが…… 3 マインドフルネスの練習を始める 4 夫婦関係の調整 5 ふたたびマインドフルネスのワークへ 6 ヨウスケさんの気づき

第2章 スキーマ療法を 通じてのヨウスケさんと家族の回復 1 自らのスキーマとモードについて知る 2 ヨウスケさんと家族の変化

第3章 慢性的な生きづらさを持つワカバさん 1 ワカバさんとの出会い 2 セルフモニタリングによって見えてきたこと 3 マインドフルネスのワークとそれによる気づき 4 「生きづらさ」への気づきとスキーマ分析 5 新たな生き方の模索と生活の変革

Lecture 認知行動療法とは何か マインドフルネスとは何か スキーマ療法とは何か

Exercise レーズン・エクササイズ 呼吸のマインドフルネス 歩くマインドフルネス ボディスキャン 葉っぱのエクササイズ シャボン玉のワーク 感情や思いを壺に入れるワーク バーチャル味噌汁エクササイズ 香りのマインドフルネス

書評

2つの対人援助職を兼ねる看護教員だからこそ読みたい一冊(雑誌『看護教育』より) 書評者: 保田 江美 (国際医療福祉大学成田看護学部 講師) つらいと言えない対人援助職の2人が,マインドフルネスとスキーマ療法によりいかにして幸せを手にしていくか!? 本書では,この2人と臨床心理士である著者とのやり取りが臨場感あふれる文章で描かれるとともにマインドフルネスやスキーマ療法,その基礎となる認知行動療法(CBT)についてわかりやすく解説されている。さらに,今日から実践できるマインドフルネスのエクササイズも多く紹介されている。 著者によれば,「つらいと言えない人」には,自分の感情をないものとし,感情を出す人を「レベルが低い」と見下す「オレ様/女王様」タイプと自分の感情より相手の感情を優先して,他人の世話ばかりしてしまうタイプの2つがあるという。本書では,前者のタイプであるオレ様医師のヨウスケさんと後者のタイプである真面目で隙のない臨床心理士のワカバさんの2人が登場する。 ヨウスケさんは,カウンセリングでもマウンティングをし続け,CBTの基本であるセルフモニタリング(自分の経験を自己観察する)を始めるや否や診察室から逃げるという荒業を敢行したくらい自分の内側の現象に目を向けることができなかった。看護職なら,ヨウスケさんのような人に一度は出会ったことがあるだろう。そんなヨウスケさんが著者とのやり取りのなかで,「今・ここ」に起こっていることを,「ふーん」「へー」「そっかぁ」とそのまま受け止めているうちに,その体験が遠ざかっていくというマインドフルネスのワークに徐々に積極的に取り組むようになる。いくつかのワークをとおして,ヨウスケさんは自身の核心に自ら迫っていく。さらには,スキーマ療法によって,自分の生きづらさの根っこを知り,その影響に目を向け,それを乗り越えていく。 ワカバさんもまた,CBTとマインドフルネス,スキーマ療法を行うことで,自分の生きづらさに気づき,他人のためではなく自分のために生きる「自分」を手にいれていく。著者がニューヨウスケさんと命名したのびのびと生きる彼や自分を手に入れたワカバさんを導き出したマインドフルネスやスキーマ療法の効果に私は驚き,二人が幸せになっていくプロセスにほっこりすらし,一気に読み進めた。 職務上,感情をコントロールする看護職には,ワカバさんのようなタイプが程度に差こそあれ,多いのではないだろうか。看護教員は看護職であり,教職でもある。私たちは2つの対人援助職の役割を担っているといえるだろう。本書は,対人援助職だからこそつらいと言えない生きづらさ,それに向き合うことの大切さに気づかせてくれる良書である。2つの対人援助職である私たちにこそ,今,マインドフルネスでまずは自分の内側をのぞいてみることが必要なのかもしれない。

精神科医が呆れる「他人に相談できない人の残念な考え方」ワースト1

コロナ禍や自粛生活などの「環境の変化」により、多くの人が将来への不安を抱え、「大きなストレス」を感じている。ストレスを溜め込みすぎると、体調を崩したり、うつなどのメンタル疾患に陥ってしまう。 そんな中、 このコロナ禍に22万部を突破したベストセラー 『ストレスフリー超大全』では、著者の精神科医・樺沢紫苑氏は、ストレスフリーに生きる方法を「科学的なファクト」と「今すぐできるToDo」で紹介している。「アドバイスを聞いてラクになった!」「今すべきことがわかった!」と、YouTubeでも大反響を集める樺沢氏。そのストレスフリーの本質に迫る。

「相談が苦手」な日本人

その場合、他人の力を借りるしかありません。他の人に「相談する」ということです。

今までに「自殺したいと思ったことがある人」に対して、「自殺を考えたとき、誰に相談したか」という質問に、「相談したことがない」と答えた人は60.4%となっています。つまり、約3分の2もの人が、生きるか死ぬかという極めて重大な問題を、1人で悩み続け、誰にも相談できないでいるのです。もし、そういう状況にいるなら、そんな自分を変えましょう。

そもそも、日本には「相談」という文化が根づいていません。 人に相談すると、相手に心配をかけてしまうと思い込み、心配をかけたくないので自分で抱え込んでしまうのです。

「相談しても意味がない」という誤り

相談できない患者さんに、「どうして相談しなかったのですか?」と質問すると、「相談しても解決できるような問題じゃないので、意味がないです」と言う人が多いです。

精神科の診療を受けると、陰鬱な表情で来院された患者さんが、たった30分の相談だけでも、「気分が楽になった」と笑顔で帰っていく人が多くいます。「問題解決」は「原因除去」だけが目的ではなく、不安やストレスを取り除くことが目的なのです。

 
 
 

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