罪悪 感 から 好き に なる
- Rolf Reeves
- Sep 22, 2023
- 11 min read
罪悪感は愛の物語に変換することで解放できる。
ここ1年で色々あったことから、少しずつ元気になってきてはいるものの、何か心に重りのような物があります。 自分の中に大きな罪悪感があるのが分かります。約1年前に旦那がガンで闘病の最後の数ヶ月となり、なのに大事に優しくしてあげれなかった自分。嫌いではなかった旦那ですが、私は結婚して数年後から、他に好きな人がいたり、仕事に没頭していたりしました。 ガンになってから、逃げたい、考えたくないと無意識に思いながらの1年半でした。

旦那が最期の数ヶ月の頃に、私がすごく好きになってしまった(恐らくロックマン的な)不倫相手と1年続き、今から3ヶ月前にバッサリ切られたのも辛いのですが、それから立ち直ってきてもこの罪悪感が残っています。 今でも弱って助けが必要となってきている親に対して、面倒な気持ちと同時に、辛い悲しい気持ちになります。 この状態はこれからも続くと思われるので、ちゃんと元気になって幸せも感じたいのに…。 今の私を阻んでいるのは、コレなのかな…と最近、思っています。
色々な要素が盛りだくさんで、まとまらず申し訳ありません。 好きな趣味を見つけたり、アファもしてみたり、色んな男に会ったりして(笑)自信も取り戻してきたのですが、すぐ落ち込んでしまいます。時折、苦しさが襲ってきます。 何かアドバイスいただけると、すごく嬉しいです。
そして、罪悪感はYさんが感じておられるように「重い」ものです。 その感情は時に「十字架を背負って坂を上るようなもの」と表現され、自分を苦しめるためにあらゆる手段を尽くします。 ちなみに「ガン」は「罪悪感の病気」という表現もあります。
もし、ほんとうに旦那さんのことが嫌いであるならば、どんな事情があれ、離婚を選んでいたはずですよね。 他に好きな人ができたりして旦那から目を逸らしていたのであれば、そこにもきちんとした理由が存在しているはず。 仕事に没頭するのも同じ理由。
それはふつうの人間であればだれにでも起きるものです。 大きな病気や死というものを直視することなど、なかなか人はできないものです。 始めは否定し、拒否します。そして、自分が被害者になったり、逃げようとしたりします。そこに罪悪感という感情が入ってくれば、なおさら向き合うものは難しいものです。
> 今でも弱って助けが必要となってきている親に対して、面倒な気持ちと同時に、辛い悲しい気持ちになります。 > この状態はこれからも続くと思われるので、ちゃんと元気になって幸せも感じたいのに…。 > 今の私を阻んでいるのは、コレなのかな…と最近、思っています。
だから、罪悪感を抜け出すカギは「誰かに助けを求める」ということです。 その許可を自分に下ろしましょう。 だって、今のYさんはそれを望んでいらっしゃいます。でも、自分にそれを堂々と許せないから、アンダーグラウンドに心のよりどころを求めてしまうのかもしれません。
「ようやってきたよね。 めっちゃ頑張ってきたやん。 すごいよなあ。 なかなかできることじゃないよね。 それでももっと頑張ろうとしているんだよね。 どれだけ愛があるんだよ。 もう少し自分のことを面倒みてあげてもいいんじゃない? ボロボロになってない? 休んだり、甘えたり、頼ったりするの、苦手でしょ? そういうと否定するかもしれないけれど、きっとそうだよね。 ドMだってことはわかるけど、そんな自分を責めまくらなくてもいいんじゃない? そういうプレイが好きなの? 楽することだって大事なんよね。 じゃないと自分が潰れちゃうじゃない? そりゃ、情熱の女だからいつも恋をしていたいわけだしさー。 鎧着込んで、バズーカ背負ってるけど、ほんとはか弱くて、かわいい、女の子なのかもしれないよね。 弱くてもいいんじゃね? ちゃんとしなくてもいいんじゃね? それが今の自分なんだからしゃあないやん」
罪悪感の心理学1~罪悪感とは?~
「原罪」という言葉がありますが、実はとっても私たちは、この罪の意識というものに、振り回されているんです。
罪悪感とは?
悪い人間は幸せになってもいいでしょうか? いえいえ、だめですよね。 悪い人間はきちんと罪を償うべき、と感じます。 「罪を犯したんだから、罰せられなければならない」というのが罪悪感です。
ですから、罪悪感があると、幸せを受け取ることができません。また、幸せになることを自分に許すこともできません。もちろん、笑うことや楽しむこともご法度。苦渋に満ちた表情で生きていかなければならないような感覚がします。 そして、人生を重たい荷物を背負ったように苦しげに生きることしか出来なくなります。 それが補償行為と呼ばれる、罪を償う人生になるのです。 補償行為は自分が本当にしたいことではないので、やがて行為そのものに苦痛を感じ始めます。 それは僕たちの体を冒して行くウィルスのように僕たちの人生から楽しみや喜びを奪っていきます。
あなたが大好きな恋人と楽しいドライブに出かけていると思ってください。 もちろん、運転するのは自分。 おしゃべりに夢中になっていると突然目の前に人影が・・・。 ガツンという鈍い音と共に人が倒れているのを感じます。 恐る恐る外に出ると40台くらいの男の人が血を流して倒れています。 慌てて救急車を呼び、警察にも連絡し、あなたは取調べを受けます。 そして、取調べの最中にその男性が死亡したことを耳にします。 その男性は家族の大黒柱。会社の評判も上々。 昨年家を新築し、ローンは退職金を当てこんで組まれています。 そして、あなたはその家庭に謝りに行くと思ってください。 家族の顔が次々に浮かびます。 泣き崩れる家族、怒りに満ちた家族、白い布を被ったその男性。 あなたはそのときどんな気持ちでしょうか? 「いっそ、自分を殺して欲しい」 という気分になりませんでしょうか。
その後の人生、あなたは笑って過ごすことが出来るでしょうか? 幸せになっていいと思うでしょうか? あなたはその家族のために、自分の全財産や人生を売り払うことすら考えるかもしれません。 そして、その通りに生きようとするかもしれません。
彼女に別れを告げた。 自分のわがままで彼を傷つけてしまった。 浮気をした。 好きでもない人と寝てしまった。 自分のミスで取引先や自社に損害を与えてしまった。 誰かの悪口を言ったり、暴言を吐いたりした。 約束の時間に遅れてしまった。
罪悪感の作る態度
罪悪感は本当に基本的な感情ですので、僕たちの行動や態度に大きな影響を及ぼしています。ありとあらゆる問題の陰に罪悪感あり、というくらい、罪悪感は本当に多くの困難を僕たちに起こします。 また、基本的な故に自分ではそんなつもりはないんだけど・・・という状況にもよく出会います。そういう場合は、意識上ではなく、潜在意識や無意識の中にある罪悪感がそんな状況を招いていると言うことも出来ます。 そんな中から一般的ないくつかの行動パターン・思考パターンを紹介しましょう。
僕たちは一般的に「悪い」=「償わなければならない」=「犠牲を払わなければならない」=「それはとてもイヤな感じがする」という感覚になります。 だから、僕たちは自分のしたことを正当化したり、正しい・間違いにこだわったりしてしまいます。 そうすると「俺は正しい、おまえが間違ってる」というケンカや争いに発展します。
また、自分が「悪い。罪を補わなければならない」と思えば思うほど「きっと他の人もそう思うに違いない」となり「自分は周りの人から攻撃される」という恐れが出来ます。 そうすると当然相手の攻撃から身を守るための防御が必要になるわけで、その道具に「正しさ」を使うこともあります。「僕は正しい。だから君に攻撃される筋合いはない」という具合に。 これは罪悪感からの防衛のパターンと言います。
皆さんの周りやブラウン管を通して「私は正しい」と言ってる人を見かけませんか? 「私が正しい」って何度も言ってる人、いませんか? それくらい自分の正しさを主張しなければならない人がいるとしたら、その人は心で何を思っているのでしょう? きっと「私は悪い」という罪悪感があるのではないでしょうか。
また、先のお話にもあるとおり罪悪感があれば、必ず自己嫌悪・自己攻撃が生まれます。 私が悪いわけですから、幸せになることなんて許せません。 ですから、何かうれしい話、幸せな出来事があったとしても拒絶したり、疑ってしまったりします。素直に受け取ることができなくなってしまうのです。 一方では「自分は罰を受けなければならない」と思っていますので、積極的に自分を罰することもあります。次の補償行為のお話にも繋がってきますが、わざわざ選んでしんどい思いをしてみたり、そんな状況に身を置いてみたり、自分をどんどん幸せから遠ざけようとします。 罰を受けなければならないんだから、人に傷つけられて当然と思います。
僕たちは罪悪感を感じるのはとってもイヤなので潜在意識の中に押し込めてしまっています。 ですから、普段はそんな思いがあることを感じられません。 そうすると意識上では「私は不幸」と思っていたり、そう思わざるを得ない出来事が起きたりします。
ちょっと想像してください。 皆さんの知り合いの誰かが「あいつは悪い奴だ、こいつも悪い奴だ、政治が悪い、会社が悪い」と口癖のように周りのものを悪く言う人がいます。 なぜでしょうね。
それがエスカレートするとやがては暴力や犯罪などにも発展します。 最近自分の子どもへの虐待がニュースになることが多いのですが、これも罪悪感という面から説明することができます。 子どもを虐待したいと思う親はいません。子どもに手をあげてしまった瞬間に「母親として最低なことをしてしまった」という罪悪感が芽生えます。そして自分を「母親失格だ」と責めるようになりますが、それを子どもに投影してしまうと自分を攻撃するように子どもを攻撃してしまいます。そうするとまた罪悪感が募り、自己攻撃が激しくなり、その分だけ子どもへの虐待も止まらなくなる、という悪循環に陥るんです。
罪悪感があると当然そこには近づきたくありませんし、とても居心地が悪いのが普通です。 先の事故のお話でも病院になど行かずに逃げたくなるのが普通だと思うんですね。 霊安室で家族に対面するときの気持ちといったら・・・。
罪悪感を癒す
罪悪感とはそうした罪の意識、罰を受けなければという観念が作り出すもの。 最大の癒しのツールは「許し」そして「感謝」です。 とてもメジャーなツールですが、とても難しいのがこれら。 相手を許すこと以上に、自分を許すことには困難が付きまといます。 「自分が罪だ、悪い」と思っている観念を手放して、「自分は無罪だ」とストーリーを書き換えてしまうわけですから。 そして、多くの場合は罪悪感が罪悪感を作る悪循環にはまり込んでいるために、ひとつ癒してもまた別の罪悪感が顔を出すケースもあります。 しかし、完璧な許しを求める必要もありません。ひとつひとつの罪悪感を手放すたびに、どんどん自分が罰から解放され、自由に、無邪気になっていくのです。
罪悪感を癒す方法は先に挙げたような様々な態度を改善していくことをまずは目的にします。 そのためにはまずは自分自身の心の中にあるその観念を受け入れていきます。 そこでは誰か「ごめんなさい」が言えないために苦しんでいるあなたがいるのかもしれません。 ならば謝罪が必要になりますし、自分をこれ以上罰さない決意も必要です。 そして、最後にあなた自身が無罪であることを受け入れます。 自分の未熟さや誤解が原因なのかもしれませんし、不可抗力があったのかもしれません。 そんな未熟さや勘違いを受け入れることは、大人であればあるほど、惨めだったり、屈辱的だったり、悲しかったりするかもしれません。新たなる自己否定に繋がりそうになることもあります。 でも、そこで自分の人間としての幅を広げ、それらを受け入れていくことは、ものすごい成長を僕たちにもたらしてくれます。
罪悪感を癒すことで多くのものを僕たちは手に入れることができます。 人を受け入れること、許すこと。人生を楽に、自然に生きていける解放感。生きがいや明るい将来への展望。肩肘張らずに済む謙虚さ。毎日を楽しむことはもちろん、人との繋がりをより深く実感することができます。 それらが手に入ったとき、僕たちはまさに人生が回っていることを実感し、楽しんで人生を歩いていくことができるようになります。
あなたの近くの罪悪感野郎のために
また、罪悪感から彼がしてくれることは最初はうれしくても、それが補償行為である以上、愛情ではありませんから、やがては気づきます。 「なんか変」だと。 特に女性の方々は非常にこのことに敏感ですから、男性諸氏はご注意下さい(笑)
そうすると彼を攻撃してしまうかもしれません。 でも、それではあなたも彼の罪悪感の罠にかかってしまったということ。 (だって、彼は罰せられると思っていて、あなたが彼を攻撃したら、それは彼にとっては罰になりますから)



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