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東日本 ハウス 中村 功

  • Writer: Rolf Reeves
    Rolf Reeves
  • Oct 30, 2023
  • 9 min read

国家教養主義・教養国民党宣言

国際金権主義(白人金融帝国主義)打倒!真善美の価値観を説く教養主義の復権と、国家への帰属心・公徳心を説く国家主義との融合を図る新世紀のイデオロギー・国家教養主義を提唱する。その担い手は定住し正業を営む生活者である。日本人再生・啓蒙・覚醒の為のブログ。

漁火会の解散

今月の漁火新聞で、今年をもって本部は解散、機関紙「漁火新聞」発行停止、各地区漁火会は独自に活動とのこと。突然の事であり、寝耳に水であった。 漁火会というのは平成の始まりの頃、岩手に本社を置く東日本ハウスの中村功によって始められた中小企業経営者を中心とした、日本人の誇りを取り戻す為の日本の歴史文化を学ぶ勉強会として発足されたのが始まりである。当初は「漁火会」を名乗り、広く一般国民に活動が開かれたもののはずであったが、「経営者漁火会」と名を変え、門戸を狭めてしまった。ここから既に失敗が始まっていた。「市民漁火会」などの組織も創ろうとしたができなかったようである。(やらなかったという方が正しい。そんな組織は各地区に人材がいれば簡単にできる) やがて、東日本ハウスの株式売却により、創業者利益を200億円上げたのを機会に、経営者漁火会を支援母体とする青年自由党を結成し政治活動に乗り出す。しかし、国政選挙では1議席も獲得できず、創立者・中村功の新規事業(銀河高原ビール)、啓蒙活動としての映画興行(ムルデカ)などの失敗により資金が底をつき、2000年に党は解散し政治活動から撤退する。中村功のワンマン党運営の方針を巡って、人材が離れていったのも痛かったようである。元々、政治を志ながら、二世議員のような地盤を持たない若者達を支援する為に作ったはずであるが、その点、人材育成には失敗したようである。 青年自由党の失敗は中村功が表に立ったことである。どう見てもあの顔は「青年」ではない。黒幕・フィクサーないしはスポンサーに徹するべきであった。青年自由党解党後も、統一教会別働隊としか思えない創新党を応援したりと迷走を繰り返し、とうとう今回の漁火会解散である。地区組織は残すというが本部も機関紙発行も無くなった中で、独自に活動していけるわけがない。事実上の組織消滅である。 特に感慨は無いが、漁火新聞だけは内容・サイズ共に中々良かった。一面の中村功の評論から始まって、連載寄稿ものなど良質なものが多く、国民の教養高めるには十分に寄与するものがあったと言っていいだろう。サイズもB4で扱いやすく手頃なものであった。一般新聞のタブロイド判は大きすぎる。 安倍政権の誕生で使命を終えたとか言っているが、安倍は大企業優遇策をしているだけで、中小企業対策など考えていない。中村功もまた安倍政権が愛国政権だと勘違いしているようである。彼もまた親米ポチ保守だったようである。確かにポチにとっては、その工作活動は安倍の再臨でひと段落したのであろう。

東日本 ハウス 中村 功

私の人生の中で日本の企業人で誰が素晴らしい人かと言えば、やはり中村功会長ではないかと思っている。とにかく愛国心の塊のような人。日本国の為に私財を投じ、あらゆる事をやった。多分私の知っている限り、ここまでやる人はいなかったであろう。私も15年前、中村会長の飯田橋のビルで行われた石川佐智子先生の主催する第三ステージの勉強会で、長い期間お世話になり、つくづく思ったのは中村会長のような日本の将来を案じ行動する企業人がいただろうか。口では良い事言う企業人はたくさんいるが、中村会長のように行動する人はほとんどいない。 今日ここで、改めて中村会長のプロセスを紹介すれば偉大さが理解できると思います。 中村功会長のプロフィール 和風注文住宅会社、 東日本ハウス(株)を昭和44年(1969年)に創業。 創立25周年の年、平成6年(1994年)売上1000億円、利益60億円を超え、念願であった第三の人生を歩むため社長を勇退。 身内の者には後継させないとの信念のもと、自分が育てた藤澤誠一専務を社長にして会長となる。 第一の人生は 、13年間勤めた出光興産でのサラリーマン時代。 第二の人生は 、25年間会社を築き上げてきた東日本ハウスの社長時代。 第三の人生は 、日本を世界から尊敬される国にしたいという運動をする時代。

その運動とは 1.社会運動を通して日本を良くしたいという「漁火会」の運動。 2.中小企業経営者が、社員とその家族を守るために、団結して国と経営を良くしようという「経営者漁火会」の運動。

中村功は大阪で7人兄弟の三男坊として生まれる。 子供がいなかった親戚の家に、2歳の時養子として出される。 しかし、6歳の時その家に男の子が生まれ、香川に疎開していた実の両親のもとに返される。 まだ子供であった功は、なぜ返されたのかその理由がわからず、 きっと悪い子供だったので親から捨てられたと思った。

そこで 二度と捨てられないため、いい子になろうと心に決める。 その結果、村一番の親孝行息子と評判されるくらいになった。 しかしまだ子供、当然のこととしてその反発もあり、学校では先生を大いに困らせた。 小学校三年生のとき日本が戦争に負け、子供ながらに悔しい思いをする。

家が貧乏であったため、中学校を卒業したらすぐ就職しようといくつかの会社の面接試験を受ける。 その時、警察官をしていた兄から、金のことは心配いらない、高校に行けと言われ、初めて肉親の情に触れ涙を流す。

高校時代、人間が死ぬということを知る。 その恐怖で一週間苦しむが、自分なりの結論を出す。 死ぬのは自分だけではない。 親も兄弟も先生も皆な死ぬ。 それなら自分はどう生きるか。

高校時代、もうひとつの転機がある。 パール博士の日本無罪論を読み、インドにこんな立派な人がいるのかと感激する。 その影響があって、いつか日本とインドを結ぶような仕事をしたいと思うようになった。

そんな理由もあって、就職先は外国に行ける会社ということで、いくつか試験を受けて、出光興産に就職。 大学に行く夢も捨てず、仕事をやりながら勉強もした。 しかし親から妹が大学に行くから経済の援助をしてほしいと言われ、大学進学を諦めざるをえなかった。 これで更に仕事に打ち込む。 人生の大事と小事を考えて生きる。 自分の大事は、 一つ目 、 仕事を頑張る 。 二つ目 、 人間の人格識見を高める読書をする 。 三つ目 、 何かを為すときのためにお金を貯める 。

それ以外は全て小事とする。 小事は負けてもいい、大事には負けないとして生きる。

その頑張りがあって出光興産で五本の指に入るトップセールスマンとなる。 その間、 出光佐三の経営方法、日本人としての誇りある仕事、人生観などを見て学ぶ。 また頑張ってやれば学歴は仕事に関係ないということも知る。 もう出光興産では自分の生きたいように生きられないことを知り出光興産を辞め、会社を作ることに決める。 新しい仕事を見つける条件は、今まで自分がどんな職種の仕事をしてきたかとは関係なく ・資本のかからない仕事 ・将来性のある仕事 の二つであった。

そこで決定したのが住宅産業。 東日本ハウス(株)のスタートである。 最初は「大和ハウス」の代理店であった。 しかし頑張っても頑張っても会社の利益が上がらない。 そんな時どうしても中村功に和風の住宅を建ててほしいという人がいて、注文住宅の第一棟目を手掛ける。 終わってみて、お客さんに喜ばれ、しかも利益が出る。 これだ、と思ったが一棟だけでは分からない。

第二棟目を手掛ける。 やはり同じ結果であった。 ここから東日本ハウスは本格的に注文住宅の道を歩み始める。

「人間生まれながらのプロはいない」 出光興産で知ったことを実践したのである。 できたばかりの小さな会社ではあるが、その望みは大きい。 そこで 中村功は社員を育てることが社長の仕事の中で最も大切であるとして、徹底した社員教育 をやる。

住宅はほとんどの人にとって一生に一度の大事業。 誠心誠意を込めてお客さんにあたれ。 仕事のノウハウではなく、人間としてどう生きるか。 人生哲学を教える。 礼儀、挨拶、親孝行。

自分を今まで育ててきてくれた親に感謝できなくて、なんでお客さんに心から感謝できるか。 真心こめてお辞儀する。 読書をすすめ感想文を書かせる。 目標を持つと人生を頑張れる。 勝つ人生を教える。 仕事は人間を成長させる。 新入社員に緊張感が走る。 中途採用者も仕事をすることの素晴らしさを教わる。 こうやって会社を大きくしていったが、 しかし待てよ、事を為すには―― 中村功が、社会的にある程度認められるような人間にならなければならない 。 そして経済的にも、ある程度持続できる。

力を持たなければならない。 そのために、自分の今為すべきことは何か。 それは東日本ハウスを力のある会社にすることだとして、仕事に励んできた。 そしてホテル経営、アメリカでの農場経営など、事業の拡大をはかり、最近ではビールを全国に製造販売する銀河高原ビール(株)の経営も行っている。

第三の人生の始まりは、東日本ハウスを作って5年目にあったが、その体制ができてきたとして 昭和63年(1988年)、新しい運動の火種 をつけた。 それが 社会運動を通して日本を良くしたいという「漁火会」の運動である 。 しかし国を良くたいという視点に立つと、どうしても政治にタッチせざるを得ない。

国益を考えない政治家の発言、謝罪外交、独立国家としての役割を果たさない領土問題の対応。 一方で日本の国を良く教えない教科書、学校教育、マスコミ報道。 こんなことでこの先日本はどうなるか。 国民としてとても黙って見ている訳にはいかない。 歴史というものは当然光と影がある。 なのに現状は日本の影の部分だけを強調して教えている。 それではとても日本人が自分の国日本に誇りなど持てる訳がない。 この状態が続いたら国そのものの存在が危うくなる。 このような志を持った中小企業経営者の集まりである「経営者漁火会」も積極的に拡大をはかっている。 これらの運動のリーダーが中村功である。

肩書 東日本ハウス(株)創業者 (株)ホテル東日本 創業者 東日本沢内総合開発(株)創業者 銀河高原ビール(株)創業者 東京映像制作(株)取締役 (株)NTCドリームマックス 取締役会長 経営者漁火会会長

 
 
 

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