手 に 入ら ない 女 執着
- Rolf Reeves
- Oct 30, 2023
- 6 min read
執着とは?執着を断ち切る方法とメリットは?依存との違いは?
「執着」の意味は「ある物事に心が深くとらわれて離れないこと」です。 ある一つのことに強いこだわりをもったり、気持ちがとらわれすぎてしまって生活や考え方に良くない影響を及ぼしてしまっている場合に使用されます。 「執着」は「お金に執着する」「執着心」などと使います。 「執着心」とは「人や物、出来事に強く固執してしまう心」のことです。 例えば人に対して「この人のことを全て知りたい、何をしているのか把握していないと気になって仕方がない」というように感じるなど、ひどく固執してしまう気持ちを「執着心」と言います。

「執着」の語源は仏教用語
「執着」の語源は仏教用語です。 「執着」を仏教用語として使う場合は元の読み方である「しゅうじゃく」が採用されます。 「執」という漢字には「こだわる」という意味があり、「着」には「くっつく・離れない」という意味があります。 仏教では「執着」は苦しみの原因であるとされていて、「執着を捨てること」の大切さが教えられてます。 この仏教の教えから、現代でも一つのことに固執してしまうという精神状態を「執着」という言葉で言い表しているということが考えられます。
「執着」と「依存」の違い
「依存」とは、「他の物に頼って存在していること」という意味です。 例えば、「恋人に依存している」「○○依存症」とったように使用しますが、これは「その存在に支えられて生きている」という意味になります。 つまり、「○○がないと生きていけない」というような状態を表す言葉であるという事がわかります。 一方「執着」は「強いこだわりが捨てられない」「そのことで頭がいっぱいになってしまう」というように、心理状態を表す言葉です。
「執着」と「固執」の違い
「固執」の意味は「自分の意見を主張して譲らないこと、態度などを強固にして変えないこと」です。 「固執」は良い意味でも悪い意味でも使われ、「自分自身の意見や考え、立場」などにこだわることに対して使います。 「固執」も「執着」もこだわりが強く譲れない心情を表す言葉ですが、使う対象が異なると言えるでしょう。 固執は 自分の意見や考え、立場などにこだわり譲らないこと 執着は 自分の心が惹かれているひとつの対象に心がとらわれて離れられないこと と、なります。
「執着」と「一途」の違い(恋愛)
「一途」は「他を顧みないで、一つのことだけを追い求めること」です。 恋愛における「一途」は、両思いであれ、片思いであれ、ただ1人のことを長く想い続ける人を「一途な人」と言い表すことができます。 マイナスな意味で使用されることはありません。 一方、恋愛における「執着」は「この人を自分のものにしたい」「自分の思い通りにしないと気が済まない」というような自分本位な気持ちを意味します。 失恋をしているのに諦めきれずに相手に対する気持ちに支配されてしまっていたりすることを「執着している」と言い、ネガティブな意味で使用されます。
執着と願いの心理学~執着と願いはどう違う?~
執着があると、多くの場合、執着しているものが手に入らなくなります。 執着のベースには怖れがあり、それを手に入れたいという「特別な意識」が働いて、適切な選択や言動ができなくなってしまうからです。心に余裕がない状態で周りのことがよく見えなくなってしまいます。 一方、思いや願いには、怖れは存在しません。 そうなったらいいなぁとか、そうなりたいなぁという心に余裕のある状態で、周りの状況もよく見えている状態です。 この心の余裕度は選択や言動に大きな差をもたらします。 執着を手放すには、自己価値対する自身の評価を向上させる事です。その為には、自分の良いところを見るように習慣づける事です。
◎リクエストを頂きました◎ =================================== 今回は、幸せの執着を手放すについて、解説していただきたく、投稿させていただきました。
では、私たちはどうして執着をするのでしょうか?
全ての執着は、怖れから生じます。 例えば、別れた彼に執着するのは、もう2度とあんな素敵な彼には出会うことがない、あんな楽しく素晴らしい時間を過ごすことはないという怖れや、まるで彼からあなたは駄目な人だという烙印を押された様に感じて、それを認めると自分が本当に駄目だということを認めなければならない怖れなどです。 前者の例では、もっとよい彼がすぐに見つかり、楽しい時間が過ごせる事がわかっていれば、彼に執着する必要は全く無いわけですね。 あるいは後者例では、自分は駄目だと言われた訳ではなく、たまたま相性が悪かったのだと理解できていれば、彼に執着する必要はありませんね。
では、私たちはどうして怖れを抱くのでしょうか?
では、執着があるとどのような事が起こるのでしょうか?
実は、執着しているものが手に入らないという結果を招いてしまう事がとても多くなります。 なぜならば、それを手に入れたいという「特別な意識」が働いて、適切な選択や言動ができなくなってしまうからです。 適切でない選択は、得てして望ましくない選択となり状況を悪化させます。また適切でない言動は人に違和感を与え、執着の対象が人であった場合にはその人を遠ざける結果になったり、人以外の場合には協力者や援助者を遠ざけてしまいます。
では、執着ではない願いや思いとは何が違うのでしょうか?
執着は先に述べましたように、怖れをベースとしていますのでその動機は自分の心の痛みを感じないように自分ばかりを見ている状態です。心に余裕が無く、ネガティブ(マイナス思考)な動機なのですね。 一方、思いや願いには、怖れは存在しません。 そうなったらいいなぁとか、そうなりたいなぁという心に余裕のある状態で、周りの状況もよく見えている、ポジティブ(プラス思考)な動機なのですね。 この心の余裕度は選択や言動に大きな差をもたらします。 そして、その結果も大きく異なってくるのですね。
では、執着を手放すにはどうすればいいのでしょうか?
大切なポイントは、自分の価値に対する評価を向上させる事です。 私たちは、とかく自分に厳しく、人には優しいものです。 例えば、友達が何か失敗をしたときには、友達を責めることをしませんが、その友達と同じ失敗を自分がした時には、自分を厳しく責めますね。 まぁ、人によっては自分を責めるのが苦し過ぎて友達も自分も同じように責める方もいらっしゃるかも知れませんが、それでは友達はいなくなってしまうかも知れません。 自分の価値に対する評価を向上させるには、自分の良いところを見るように習慣づける事です。例えば、今日一日の私の言動の中から、褒めるポイントを探してそれを自分で褒める事を毎日続けるなどです。どんな些細な事でも構わないのです。
リクエストをいただきました「幸せへの執着」についてですが、幸せな気分を思い出すこと、私は執着ではないと思います。そしてそれで幸せな気分になれるとしたら1つの癒しの方法ではないかと思います。 ただ、幸せになりたいとの願いをお持ちであれば、何があればではなく、どうなれば幸せなのかの今の目標を立てること(何があればの「何が」は、幸せになる道具でしかありません)、そしてそこに向かって歩む決意をすることが大切かと思います。 その際には、ぜひ自分の評価を上げるレッスンもしてみていただければと思います。
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