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山 月 記 読書 感想 文

  • Writer: Rolf Reeves
    Rolf Reeves
  • Sep 22, 2023
  • 5 min read

『山月記』のあらすじ&感想文、テスト対策や虎になった理由の解説

①なぜこんなことになったのだろう。分からぬ。全く何事も我々には分からぬ。理由も分からずに押しつけられたものをおとなしく受け取って、理由も分からずにいきていくのが、我々生きもののさだめだ。
  1. 自分は虎になる運命で、それを変えることができなかったため。

  2. 臆病な自尊心と尊大な羞恥心により、自分の中の「猛獣」を制御できなったため。

  3. 妻子よりも詩業の方を優先するような男で、人間的な感情に欠けていたため。

この事から、李徴の内側に秘める「強さへの憧れ」「自己顕示欲の塊」「周囲と一線を引く孤独さ」といった性質が膨れ上がり、「虎」という生き物になったのではと考えられます。

『山月記』のテスト対策問題

次の傍線部の漢字を書きなさい。

『山月記』の感想文の書き方

山月記を読み、まず興味をそそられたのは「李徴が虎に変身する」という設定である。

人間が虎になるというのは通常ではありえないことだが、李徴の告白により極限状態における人間の苦悩や悲劇がとても身近で現実的なことのように感じられた。

特に共感を覚えたのは、李徴が「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を悔いていたシーンである。李徴は自分には才能があると自負していながら、たえずその才能の不足が暴露されることを恐れて、師につくことも友人と切磋琢磨して努めることもしなかった。

また、才能があると半ば自負しているために、平凡な人と交わるのを恥としており、そのために次第に人から遠ざかって一人で怒ったり悶えたり恥じたりして、結果的に臆病な自尊心を増長させ、尊大な羞恥心に振り回されることから抜け出せなくなってしまった。

このような事態に陥ることは、今後の人生において誰もが起こり得ると思った。例えば、勉強や部活において表面的には自分に才能があると信じる一方で、心の奥底では才能がないのではないかという不安があり、それを人に知られたくないと思うような心情である。

また、他の生徒と接する中で、表面的には人と交際することを恥ずかしいと思う一方で、中途半端に自分に自信があるため、つまらない人間とは付き合えないと思うような心情である。

自尊心や羞恥心などは、本音では言えないものの、心の奥底では誰もが持っている感情ではなかろうか。本作の中にも、「人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣にあたるのが各人の性情だという」という印象深い李徴のセリフがある。私もこの考えには納得がいった。

人間の心の中には、欲望や自負、虚栄などの感情、つまり「猛獣」がすんでいて、それが過剰になりすぎると他人の目を気にしすぎて生きにくくなってしまうということがある。こういった猛獣をうまくコントロールして生きていくのが、今後の人生において大事だと学ばされた。(796文字)

中島敦『山月記』解説と問題と感想|私は特別だと信じる人は虎になる

臆病な自尊心=自尊心はあるが、失敗を恐れて、臆病になってしまうこと。 「臆病な」とは、自分の才能に自信を持ちきれず不安なので、先生について勉強したり、詩を学んでいるような友だちと交際したりすることを避ける気持ちのこと。傷つくことを過剰に恐れる心理状態。それゆえ李徴の才能は磨かれなかった。 「自尊心」とは、李徴が自分には才能があると確信していたこと。だから彼は平凡な人たちを見下していた。 これらが組み合わさった「臆病な自尊心」を人間だったころの李徴は持っていた。

尊大な羞恥心=羞恥心があるが、隠そうとして、尊大になること。 「尊大な」とは、虎になった李徴の見た目を表している。他人に誇れるような外見である。 「羞恥心」とは、虎になった自分を恥ずかしく思う李徴の気持ちを表している。 これらが組み合わさった「尊大な羞恥心」を今の虎になってしまった李徴は持つ。

李徴が虎になったことについて

Q.人が虎になるということで作者・中島敦は何を言いたいのか? A.存在することは不確かなものである。 人生とは苦しいことが絶え間なく続くことである。 芸術だけを追い求めていても幸せにはなれない。 自己中心的な考え方は身を滅ぼす。 豊かな心を持った人だけが詩人として成功できる。

Q.李徴が自分の「人間の心がすっかり消えてしまう」ことに対する気持ちはどうであったか? A.「しあわせ」なこと→己の残虐な行いの跡を見、己の運命を振り返らなくてもすむこと 「恐ろしい」こと→人間、詩人への未練。 運命に引きずられる不安。

李徴の性格・人物像

Q.最初の段落から、李徴はどういう人間だといえるか? A.広く学問の知識があり、優れた才能を持っているが、協調性がない。 自信過剰でプライドが高く、他人を見下すような人物。

Q.李徴が「おれ」と「自分」を使い分けるのはどういうときか A.客観的に語ろうとしたときに「自分」を、主観的に語ろうとしたときに「おれ」と表現している。 「人間に還る数時間」がだんだん短くなり「獣としての習慣」が大きくなるにつれ「おれ」が多くなる。 内部の獣(虎)に李徴が支配されている時には「おれ」を用いている。

李徴と袁傪の関係

Q.袁傪と再会したときの李徴の気持ちを答えよ。 A.虎という醜悪な姿を見られたくない、また恐怖心を起こさせたくないと思う気持ちと、旧友と話したいという気持ちが混じっている。 虎の姿を恥じる気持ちと旧友を懐かしむ気持ちが入り混じった気持ち。 (李徴は虎になっても自尊心が強いことが示されている)

Q.李徴と袁傪が仲がよかったのはなぜか? A.温和な袁傪の性格が峻峭な李徴の性情と衝突しなかったから。 (そのため李徴の臆病な自尊心が傷つけられることがなかった)

Q.李徴が袁傪にした3つの依頼とは何か? A.詩作を書き留めてほしい。 妻子の援助をしてほしい。 丘の上から虎になった自分の姿を見てほしい。

Q.李徴が袁傪に自分の姿をみてほしいと頼んだのはなぜか? A.袁傪に再び自分に会おうという気持ちを起こさせないため。 自尊心や羞恥心を捨て、ありのままの自分を見てもらおうと思ったから。

Q.李徴が最後に咆哮したのはなぜか? A.完全に虎になる前に旧友・袁傪に会えたうれしさのため。 人間への未練を捨て切ったから。

 
 
 

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