土佐 日記 帰京
- Rolf Reeves
- Sep 22, 2023
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土佐日記
紀貫之(きのつらゆき)作。『土左日記』とも書く。土佐守(とさのかみ)の任満ちた貫之が、934年(承平4)12月21日に任地をたち、翌年2月16日に帰京するまでの55日間の海路の旅をもとにした日記体の紀行文。帰京後まもなくに成立か。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。」といい、筆者を女性に仮託して、全行程を1日も欠かさず、仮名文で書きつづる。仮名文による新しいジャンルを創始したものとして、画期的な意義をもつ作品である。女性に仮託したことについてはなお諸説あるが、公の立場を離れて私的な立場からの感懐を語るため、また、全編に57首もの歌を配するので、それを異和感なく繰り込むため、そして、虚実混交の記事内容を統一あるものにするため、などの理由が考えられる。それらはいずれも男性の漢文日記では不可能なことなので、仮名文による日次記(ひなみのき)を必要とした、という一点にかかわっていこう。ともかく、後の仮名文学全盛を促した意味でも『土左日記』の果たした先駆的役割は大きい。
内容は、旅の行程、天候、人々との離別、人情の厚薄、船中での人々の動静、自然景観、風波や海賊への恐れ、京へのあこがれ、ときに発する滑稽諧謔(こっけいかいぎゃく)、風刺などがあるが、なかでも印象的なのは彼地(かのち)で失った幼児への哀切な追懐である。また、歌とそれにかかわる歌論めいた言辞の多さにも目をひかれる。それらはかなりのフィクションを含んで、意図的に構成されてもいる。しかし、何がこの作品の中心的なテーマなのかは、かならずしも明らかではない。虚と実の、そのいずれでもない合間に、新しい世界をつくりだすこと自体がねらいであったといえよう。
諸本では、貫之自筆本を〔1〕藤原定家(ていか)が書写した前田家本、〔2〕定家の子為家(ためいえ)が書写したものの転写本である青谿書屋本(せいけいしょおくぼん)が有名である。〔1〕の末尾数行は貫之の手跡を模してある。〔2〕は原型本の再建を試みてほぼ成功した池田亀鑑(きかん)が多く用いた本である。なお、1984年(昭和59)になって発見されたものに〔3〕為家書写本がある。〔2〕の親本で、〔1〕よりさらに正確に原典の風姿を伝えているといわれる。
<菊地靖彦>

平安中期,935年(承平5)ころ成立の作品。作者は紀貫之。934年12月21日,新任の国司島田公鑒に国司の館を明け渡して大津に移った前土佐守紀貫之は,27日大津を出帆し,鹿児崎(かこのさき),浦戸,大湊,奈半(なは),室津,津呂,野根,日和佐(ひわさ),答島(こたじま),土佐泊,多奈川,貝塚,難波,曲(わた),鳥飼,鵜殿,山崎と,船路の泊りを重ね,翌年2月16日ようやく京のわが家へ帰り着いた。その間の知人交友との離別の事情,各地の風光や船中のできごと,または港々でのエピソード,水夫たちの船唄などを克明に日記しておいたのであろう。それは当然,真名(まな)の漢文日記であったと思われるが,土佐在国中に醍醐天皇をはじめ右大臣藤原定方,権中納言藤原兼輔ら有力な後継者をすべて失った貫之としては,大家族を扶養してゆくためには,権力者太政大臣藤原忠平父子に接近して官職を得なければならなかった。その就職請願の〈申文(もうしぶみ)〉ともいうべきものが,このかな書き和文の《土佐日記》であった。素材を旅の体験に取り,様式を日次(ひなみ)の記としてはいるが,単純な意味での日記紀行ではない。それは事実をはなはだしく朧化した虚構を加えているからである。作者を女性に仮託してかな文を用いたのは,土佐で失った女児を追慕するみずからの悲しみを見つめた自己観照の文学とするためであり,軽快な諧謔をまじえて一般国司の腐敗堕落や交通業者の不正行為を痛烈に風刺し,みずからの廉直清貧を主張するのは,権力者への訴えを兼ねた社会批判の書とするためである。老若男女さまざまな性格の人物を登場させた戯曲的構成のもとに,貫之が生涯を通じて追求し続けた高度の歌論をかみ砕いて具体的にわかりやすく楽しく説き明かすのは,権力者の子弟たる初心入門の年少者の教科書とするためであったと思われる。押鮎と鯔(なよし)の頭との恋を空想する童話性,船と並行して山も進むかに見える錯視を取り上げた動画的描写,幼児の感覚で思考するこの老歌人の感受性の柔軟さ,しかも緩急自在な文章のリズムに読者をひきこんでゆく技巧の達者なことは驚嘆に値する。歌論,風刺,自照と三つの主題をあやなしてゆくなかに,先祖の船守や敬愛する兼輔への鎮魂の文章をすら気づかれぬようにそっと忍ばせておく根性のしたたかさ,この掌編からくみ取られる効果のおそるべき多様さは,この作品が以後の日本文学の歴史に,日記文学,私小説,歌論書等の出発点となったことを認めただけではもの足りぬほどである。 [萩谷 朴]
和文日記。古くは『土左日記』と書かれる。紀貫之 (きのつらゆき) 著。一巻。貫之の土佐守在任は延長八年(九三〇)正月二十九日発令、承平四年(九三四)四月二十九日に後任者が任命され、暮までその事務引継ぎがあり、翌年春に帰京したので、成立は承平五年ごろと考えられる。承平四年十二月二十一日に土佐の国府を出て、翌年二月十六日に帰京したように書かれており、これは旅中のメモなどに基づいたのであろうから、実際の日程を示すものと見てさしつかえあるまい。全体が前土佐守に随従して帰京する女性の見聞であるかのごとく設定されているのは、文芸としての日記たらしめようとするための仮構であり、ほかにも仮構は少なくないようである。旅中のメモは、必ずしも精細でなかったらしく、地理的に正確を欠く所のあることが指摘されている。この日記の全文を『大日本史料』一ノ六の承平五年二月是月条に掲載するけれども、すべての点に関して第一史料であるとは認めがたい。成立年代の確かな和文叙事作品として最古のものであり、文芸的な価値が高いけれども、国語学資料としてそれ以上に貴重であろう。その本文が、貫之自筆本にきわめて近いところまで再建できる、稀有の好条件に恵まれているからである。貫之自筆本がおそらくは十六世紀ごろまで存在し、それを藤原定家・藤原為家・松木宗綱・三条西実隆が写したのであり、特に昭和五十九年(一九八四)に発見された為家の写本は、貫之自筆本の再建にあたり、基幹となる貴重資料である。宗綱本と実隆本はその転写本しか現存しないけれども、書写態度は忠実度が高く、貫之自筆本の再建に有用である。
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【原文・現代語訳】帰京(『土佐日記』より)
現代語訳と品詞分解の読み方・凡例はこちら。 (1)京に入り立ちてうれし。 ① 京に入り立ちてうれし。 都に入って嬉しい。 京=[名] に=[格助]動作の帰着点 入り立ち=[動]タ四「入り立つ」用 て=[接助]単純な接続 うれし=[形]シ.
(1)京に入り立ちてうれし。
原文
現代語訳
(2)さて、池めいてくぼまり、……
原文
現代語訳
(3)忘れがたく、……
原文
現代語訳
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現代語訳と品詞分解の読み方・凡例はこちら。 (1)今は昔、比叡の山に児ありけり。…… ① 今は昔、比叡の山に児ありけり。今となっては昔のことだが、比叡山の延暦寺に児がいた。 今は昔=[連語]比叡の山=[名]に=[格助]場所児.
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現代語訳と品詞分解の読み方・凡例はこちら。 (1)昔、男ありけり。…… ① 昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。 昔、男がいた。その男は、〔自分の〕身を役に立たないも.
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(1)今は昔、比叡の山に児ありけり。…… 原文 ①今は昔、比叡の山に児ありけり。②僧たち、宵のつれづれに、「いざ、かいもちひせん。」と言ひけるを、この児、心よせに聞きけり。③さりとて、し出ださんを待ちて寝ざらんも、わろかりなんと思.
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① 虎求百獣而食之、得狐。 下:虎百獣を求めて之を食らひ、狐を得たり。 訳:虎が獣たちを探し求めては食べ、〔あるとき〕狐をつかまえた。 之=百獣(獣たち) ② 狐曰、「子無敢食我也。 下:狐曰はく、「子敢へて我を食ら.
【原文・現代語訳】東下り(『伊勢物語』より)
(1)昔、男ありけり。…… 原文 ①昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。②もとより友とする人、ひとりふたりして行きけり。③道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。④三河の国八.
【品詞分解】帰京(『土佐日記』より)
(1)京に入り立ちてうれし。 原文 ①京に入り立ちてうれし。②家に至りて、門に入るに、月明ければ、いとよくありさま見ゆ。③聞きしよりもまして、いふかひなくぞこぼれ破れたる。④家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。⑤「中垣こそあれ、一.
(1)京に入り立ちてうれし。
① 京に入り立ちてうれし。
都に入って嬉しい。 京=[名]
に=[格助]動作の帰着点
入り立ち=[動]タ四「入り立つ」用
て=[接助]単純な接続
うれし=[形]シク「うれし」止
② 家に至りて、門に入るに、月明ければ、いとよくありさま見ゆ。 家に着いて、門に入ると、月が明るいので、たいそうよく〔家の〕様子が見える。
家=[名] に=[格助]動作の帰着点 至り=[動]ラ四「至る」用 て=[接助]単純な接続 門=[名] に=[格助]動作の帰着点 入る=[動]ラ四「入る」体 に=[接助]単純な接続 月=[名] 明けれ=[形]ク「明し」已 ば=[接助]原因・理由 いと=[副] よく=[形]ク「よし」用 ありさま=[名] 見ゆ=[動]ヤ下二「見ゆ」止
③ 聞きしよりもまして、いふかひなくぞこぼれ破れたる。 聞いていた以上に、言いようもないほど壊れ、傷んでいる。
聞き=[動]カ四「聞く」用 し=[助動]過去「き」体 より=[格助]比較の基準 も=[係助]同趣の一つ まし=[動]サ四「ます」用 て=[接助]単純な接続 いふかひなく=[形]ク「いふかひなし」用 ぞ=[係助]強意(結びの語:たる) こぼれ=[動]ラ下二「こぼる」用 破れ=[動]ラ下二「破る」用 たる=[助動]存続「たり」体
④ 家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。 〔留守の間に〕家を預けておいた人の心も、すさんでいるのだったよ。
家=[名] に=[格助]動作の対象 預け=[動]カ下二「預く」用 たり=[助動]存続「たり」用 つる=[助動]完了「つ」体 人=[名] の=[格助]連体修飾格 心=[名] も=[係助]同趣の一つ 荒れ=[動]ラ下二「荒る」用 たる=[助動]存続「たり」体 なり=[助動]断定「なり」用 けり=[助動]詠嘆「けり」止
⑤ 「中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。」 「中垣はあるけれども、一つの家のようなので、〔先方から〕希望して預かったのである。」
中垣=[名] こそ=[係助]強意(結びの語:あれ) あれ=[動]ラ変「あり」已 一つ家=[名] の=[格助]様子・状態 やうなれ=[助動]比況「やうなり」已 ば=[接助]原因・理由 望み=[動]マ四「望む」用 て=[接助]単純な接続 預かれ=[動]ラ四「預かる」已 る=[助動]完了「り」体 なり=[助動]断定「なり」止
⑥ 「さるは、たよりごとに、ものも絶えず得させたり。」 「そうはいうものの、機会があることに、〔お礼の〕品物も欠かさず与えていた。」
さるは=[接] たよりごと=[名] に=[格助]時 もの=[名] も=[係助]同趣の一つ 絶え=[動]ヤ下二「絶ゆ」未 ず=[助動]打消「ず」用 得=[動]ア下二「得」未 させ=[助動]使役「さす」用 たり=[助動]完了「たり」止
⑦ 「今宵、かかること。」と、声高にものも言はせず。 「今夜、こんな〔ひどいありさまだ〕こと。」と、〔みなに〕大声で言わせるようなことはしない。
今宵=[名] かかる=[動]ラ変「かかり」体 こと=[名] と=[格助]引用 声高に=[形動]ナリ「声高なり」用 もの=[名] も=[係助]同趣の一つ 言は=[動]ハ四「言ふ」未 せ=[助動]使役「す」未 ず=[助動]打消「ず」止
⑧ いとはつらく見ゆれど、こころざしはせむとす。 たいそうひどいと思われるが、お礼はしようと思う。
いと=[副] は=[係助]強意 つらく=[形]ク「つらし」用 見ゆれ=[動]ヤ下二「見ゆ」已 ど=[接助]逆接の確定条件 こころざし=[名] は=[係助]区別 せ=[動]サ変「す」未 む=[助動]意志「む」止 と=[格助]引用 す=[動]サ変「す」止



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