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一ノ谷 兜

  • Writer: Rolf Reeves
    Rolf Reeves
  • Sep 22, 2023
  • 5 min read

【合戦図】あの名場面もじっくりと観られる! 《平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風》

源平合戦をおさらいすると、まずは前半で源頼朝と甲斐源氏の軍勢が富士川の戦いで、 平維盛 たいらのこれもり 率いる平氏を打ち破りました。源頼朝の軍勢は、それから一気に攻め上ったのかと言えば……そうではありませんでした。一旦、鎌倉に引き上げて、主に関東の平定に力を入れているんです。その時期に活躍したのが、源義仲です。彼は主に中部や北陸で勢力を広げていき、またまた平維盛などが率いる平氏を打ち破り(倶利伽羅峠の戦いと篠原の戦い)、そのまま上洛を果たします。そこで上手く立ち回れば、源義仲が源氏の 棟梁 トップ になっていてもおかしくなかったのですが、京の皇族や貴族の中心にいた後白河法皇から嫌われてしまったようです。

同時期の後白河法皇は「源義仲をどうにかしてほしい」と、源頼朝に上洛を求めました。その源頼朝の代理としてやってきた代表人物が、軍事の天才と言われる源義経です。この源義経が宇治川の戦いで源義仲を倒し、そのまま上洛(上京)したところから、鎌倉源氏もしくは坂東源氏ともいうべき、源頼朝をトップにいただく源氏の一派が、一気に覇権を取っていくことになります。

改めて、現在の 東京国立博物館 トーハク の本館1階「特3室」に展示されている《平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風》……の複製品は、そうした勢力を盛り返した西日本代表の平氏に、東日本代表の源氏が、カウンターパンチをくらわす2つの合戦を描いた作品なのです。

■一の谷の戦い(右隻)

源頼朝が鎌倉に幕府を開く以前の1184年……一旦は京都から九州の太宰府まで遁走した平氏は、宇治川の合戦など源氏同氏が争っていた時期に、勢力を盛り返すことに成功していました。九州や四国、そして中国地方の武士を動員し、かつて平清盛が都を置いた福原(現在の兵庫県神戸市中央区あたり)まで進出していました。

そこで登場したのが、源頼朝の弟で軍事の天才と言われる、源義経です。彼は現在の兵庫県神戸市一帯に布陣していた平氏を叩きのめした……ということになっていて、そんな様子を描いているのが、《平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風》の右隻《一の谷合戦》です(以下:《平家物語 一の谷合戦図屏風》)。

《平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風》右隻《一の谷合戦》 原本:大英博物館蔵

3扇の上部に描かれている下の写真は、一の谷の合戦で最も有名な、源義経の 鵯越 ひよどりごえ の 逆落し さかおとし を描いています。ここで先頭を切っているのは、平家物語にあるとおりに佐原 義連 よしつら です。屏風には、通称の「佐原十郎」と記されています。隊列の中程には、弁慶……とあるような気もしますが、きちんとは読めません。

《平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風》右隻部分 源義経の 鵯越 ひよどりごえ の 逆落し さかおとし を描いた箇所

そして屏風の右側からは、源氏勢の、曽我兄弟の継父である曾我祐信と、畠山重忠のいとこの稲毛三郎重成などが、平氏が立て籠もる砦へ迫っています。

下の写真は、その一部分。源氏勢の 泥屋 ひじや 四郎吉安と弟の五郎が、平蔵人太夫 業盛 なりもり を討ち取っている様子が描かれています。この様子は平家物語よりも源平盛衰記に詳細が記されているそう。当初は、仲間からはぐれた平 業盛 なりもり が、波打ち際で佇んでいるところを、 泥屋 ひじや 吉安が組みかかり、双方が馬上から転落。上になり下になりしているところを、古井戸に落ちたといいます(波打ち際に古井戸があるもの?)。そこを 泥屋 ひじや の弟が発見し、平 業盛 なりもり の兜をムンズと掴んで首をかききったとのこと……。

下の写真に描かれているのも、平家物語の有名なワンシーン。Wikipediaには「平 忠度 ただのり と組み討ち、討たれそうになるも郎党が助太刀して平 忠度 ただのり の右腕を斬りおとしたことで形勢が逆転、観念した平 忠度 ただのり は念仏を唱え、岡部 忠澄 ただずみ に斬られた。その後、岡部 忠澄 ただずみ は(矢を入れて背に負う) 箙 えびら に結び付けられた文から、自分が斬った男が平 忠度 ただのり であることを知り、惜しい人物を斬ってしまったと悔やんだという」

描かれているのは、平 忠度 ただのり を切った後に、発見した文を読んでいる岡部 忠澄 ただずみ 。文には、以下の辞世の句が記されていたそうです。

■屋島の戦い(左隻)

《平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風》左隻《屋島合戦》 原本:大英博物館蔵

上の写真は、ちょうど源氏方の 那須与一 なすのよいち が、玉虫御前が掲げた屏風を射抜いた瞬間です。扇と矢が飛んでいくのが分かりますね。残念ながら弓を射る那須さんをアップで撮り忘れてしまいました。

その玉虫御前の様子を見ている船の一団(下写真)には、阿波民部 重能 しげよし が描かれています。背後には揚羽蝶の紋が描かれた盾を背後にして、兜を脱いでしまっています。この方は、田口 成良 しげよし などとも名乗っていて、阿波国(今の徳島県)の住人です。『平家物語』では、屋島合戦の後の、平氏が滅亡する壇ノ浦の戦いで、裏切り者として描かれています(ただし、裏切ったかどうかについては諸説あります)。

屋島の戦いでは、 萌黄縅 もえぎおどし の腹巻、三枚甲、白柄の長刀を身に着けていたとされるそうで、源氏方の佐藤忠信に腹巻を射抜かれ死亡したと伝わっています(Wikipediaより)。

源氏方は 美尾屋 みおのや 十郎の兄弟、 丹生 にふの 四郎、それに木曽中次の五騎です。まず 美尾屋 みおのや 十郎が、長刀(薙刀?)を振り回している平氏を討ち取ろうと飛び出していきます。 美尾屋 みおのや は、平氏の矢に馬から崩れ落ち、平氏方に兜の 錣 しころ を掴まれて引き倒されそうになります……という場面が下では描かれています。

その後、 美尾屋 みおのや は逃れますが、この時に 丹生 にふの 四郎など四騎は、遠くから様子を伺っていた……ということです……その中には 美尾屋 みおのや の弟もいたはずなのですが……助太刀しなかったのですね。

時間の経過が分かりませんが、屏風の上の方……山あいからは源氏の一団が現れています。いくつかの名前が記されているのですが、唯一分かったのは、「一の谷の合戦」の 鵯越 ひよどりごえ の際に、真っ先に断崖を駆け下って行ったという佐原 義連 よしつら (屏風には「三浦佐原十郎義連」とあります)。一団の先頭では、平氏の将軍が捕らえられているようですが、名前が読めません……。

 
 
 

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