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ポリコレ 美人

  • Writer: Rolf Reeves
    Rolf Reeves
  • Sep 22, 2023
  • 16 min read

ポリコレ 美人

politicalは政治的なことを意味する形容詞、correctnessは正しいことを意味する名詞で、political correctnessは「政治的正しさ」と訳されます。SDGsの目指すものと似た部分があり、誰にとっても公正・公平な社会を実現するために必要な考え方です。日本国内でもこれが推進されている一例があります。経済産業省は、企業が取るべきアクションをまとめた「ダイバーシティ2.0行動ガイドライン」を2018年6月8日に改訂しました。 それ以外にも企業の経営戦略としてのダイバーシティ経営の推進を後押しする施策をいくつも展開しています。多様な人材の活躍は、少子高齢化の中で、日本経済の持続的な成長を支える大切な要素です。お分かりのように、これからの日本の未来を明るくしていくためのダイバーシティ経営にもポリコレの思想は必要不可欠です。これからは、会社内での人種、性別における表現、服装規定、性的指向、宗教の選択に対してマイノリティを排除することなく、多様な価値観と共存することがさらに標準化されていくことでしょう。 これまで、ポリコレによって社会が変わってきた事例はいくつかあります。よく知られているのは、「保母」→「保育士」、「看護婦」→「看護師」、「スチュワーデス」→「フライトアテンダント」など、女性しか就くことのできない職業だとイメージされる呼称の変化です。 宗教的なところでは「ハラール」という言葉が認知されてきているのもポリコレの影響でしょう。ハラールとは、イスラム教を信仰するムスリムが食べられるものを指します。中央大学多摩キャンパスでは、留学生も含めた多くの学生に対応できるよう、2016年4月より、ハラール認証カレーの販売を開始。さらに2017年4月からは、日本ムスリム協会の認証を受けたカップラーメンやクラッカー、ビスケットの販売も行っています。 このように不特定多数の人々が行き交う場でポリコレの思想は拡大してきました。

ゲームにおける'過剰な?'ポリコレ問題

さて、国境を超えて親しまれる映画や音楽、そしてビデオゲームなどのエンターテイメント文化でのポリコレはどうなっているのでしょうか。特に最近話題になっているのが、ゲームにおけるポリコレ問題です。ポリコレを強く意識して制作されたゲームでは、美男美女がお決まりだった登場人物の見た目が、より親しみやすい風貌になっている、これまで男性だった主人公が最新作で女性になっている、LGBTQの恋愛描写が取り入れられている、白人以外の人種が主要なキャラクターに選ばれているなど多くの変化が起こってきました。 しかしそんな中、2020年に発売された『The Last of Us 2』では、上記のようなポリコレ配慮が見られたことで、前作のファンを中心にたくさんの反発がありました。過剰なポリコレへの配慮により、本来の作品の良さ、面白さがなくなってしまっているという批判が巻き起こったのです。 ゲーマーが集う掲示板では、 「ポリコレブームいつ終わるんや?もうそろそろええやろ」 「ポリコレ対策をしっかりしてるAPEX」 「ホグワーツレガシーはメインキャラは黒人しか選べないんやろ?もはや白人差別やん」 といった声が上がっています。

ポリコレ映画には理由が必要?

映画界においては、19世紀のフリーク・ショー(見世物小屋)を題材にした「グレイテストショーマン」や黒人女性をヒロインに起用した「007」がポリコレ映画だと言われることが多いようです。そのほかにもハリウッドの多くの作品を中心に、ポリコレを取り入れる動きが当たり前になってきています。 2023年6月に公開予定の実写版『リトル・マーメイド』では、赤毛で白い肌のアリエル役に黒人歌手のハリー・ベイリーが抜擢されました。ロブ・マーシャル監督は、あらゆる候補の中で、「我々はただ役にふさわしい俳優を探していただけ。彼女は際立った強さがあり、情熱的で美しく、頭が切れて賢い。」と語っています。しかし、Twitterでは以下のようなコメントがありました。 「いろいろなプリンセスがいる中でアリエルを黒人にする必要ってあったのかな?」 「多様性を求めるのも大事だけど、適材適所はあったんじゃないかな」 「ヒットするかは別として、万人受けはしないと思う」」 「リトルマーメイド自体はっていうかディズニー映画自体は好きだから実写化ってのは嬉しいけど、アリエルを黒人にするなら、黒人にする理由が欲しい。舞台が南の島だから、でもなんでもいいから。そこにポリコレ以外の理由がないから無理。」 ファンからすると、実写版の配役は原作に忠実に再現してほしいという声が多いようです。 ゲームや映画などのエンターテイメントにおいては、ポリコレが不自然かつ全面的に表れていると、プレーヤーや視聴者が違和感を感じざるを得ない状況になってしまいます。もちろん受け取る側の固定概念や先入観の強さにも原因はあります。ポリコレだけでなく、SDGsの考え方においても、全ての物事が公正で正しくある姿は、エンターテイメントやアートの世界にも優先的に存在するべきなのでしょうか。 また、いわゆるSDGsウォッシュのように、本質が伴っていない形だけの改変としてのポリコレが今後増えて行ってしまう恐れもあります。 いずれにしても、ポリコレ問題に対する議論はまだまだ尽きないでしょう。 あなたも、エンターテインメントとの向き合い方をこのタイミングで一度考えてみてはいかがでしょうか。

WRITTEN BY SDGs MAGAZINE

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女性主人公が可愛くなかったら'ポリコレ'認定?安直過ぎるゲームのポリコレ論を断じる

この動画はいわゆる'ポリコレ批判'をテーマにした動画で、中でゲームのポリコレについて触れられていたのだ。ゲームを専門的に普段から扱っている筆者としても少し気になるところがあったので拝見させてもらった。動画の中身では『Horizon Zero Dawn』と『The Last Of Us Part Ⅱ』を取り上げ、ホライゾンの主人公アーロイの容姿が可愛くないということ、ラスアス2に出てくる主要キャラクター内にLGBTが異常に多いということ、これらを指してポリコレにゲームが入り込んでいるということが語られていたのだ。この動画は既に10万回近く再生されていたのでなるほどエンタメを守る為の'ポリコレ批判'とはやはり多くの注目を集めることができるのだと思った。筆者自身もいわゆる過度な'ポリコレ'を意識してしまって作品自体のコンセプト・クオリティがあまりに変動する様は見ていて気持ちのいいものだとは思わないしポリコレ批判を展開するネットユーザー達と共感する部分はけして少ないわけではない。

しかし昨今よく目にするこのような話題は正直に言うとゲームとポリコレの関係についてあまりにも簡略化し過ぎだと筆者は感じる。洋ゲーを普段からやっている人はご存じだと思うが、ホライゾンのアーロイが可愛くないというのは2017年の『Horizon Zero Dawn』の頃から頻繁に触れられていた。上記の動画内では続編となる『Horizon Forbidden West』のアーロイがさらに可愛くなくなって、まるで「出川〇朗」みたいだなんて言われる様だ。それもトレーラー映像のワンカット(静止画)だけを切り取って罵っているのだから違和感を感じえない。

2022年発売『Horizon Forbidden West』の主人公アーロイの顔

しかしアーロイが可愛くないなんて話を聞き出したのはここ最近のことなんかでは全くないし、『Horizon Zero Dawn』の頃からその意見は普通に目立っていた。しかし『Horizon Zero Dawn』は全世界で1000万本以上、日本国内でも大ヒットしたオープンワールドRPGで、その年のGOTYではトップの『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』に続く評価を獲得した。勿論続編となる『Horizon Forbidden West』も今年上半期『Elden Ring』と並ぶ超期待作として待ち望まれている。つまりアーロイの顔が可愛くないことが原因でホライゾンという作品の評価が下がったなんてことは全く無いし、アーロイの容姿が作品のコンセプト・クオリティに与えた影響は在っても微々たるものだと言える。さらに正直な話、筆者はそもそもアーロイの顔は本当にいわゆる'ポリコレ'か?とすら疑っている。

『The Last Of Us Part Ⅱ』の主人公エリー

『The Last Of Us Part Ⅱ』に関して主要キャラクターにLGBTキャラが多く存在すること、これが'ポリコレ'をがっつり意識しているというのは全く異論は無い。しかしこのラスアス2という作品は本当にゲーム評論における曲者で、本作は単なる「'ポリコレ'に配慮し過ぎたゲームの一例」なんて言葉で完了するにはあまりにも不十分だし、正確なことを述べようとすれば非常にややこしい話をしなければいけなくなる。

というわけで、この記事では「現代ゲームとポリコレの関係」という部分に焦点を当てていき、一つ目の題材として『Horizon Zero Dawn』というゲームについての話を深く掘り下げながらゲームとポリコレについて論じていこうと思う。

『Horizon Zero Dawn』は本当にポリコレ作品?

それでは『Horizon Zero Dawn』について述べていこう。この作品で取り上げられていたのは先ほども述べたようにアーロイの顔・容姿についてだ。「アーロイの顔はいわゆる美人と誰もが思うような顔立ちではなく、何故そんな顔になってしまったのか分からない」という意見である。(一応補足しておくが、プレイヤーの中にアーロイを美人という人も普通にいる。必ずしも可愛くないと言っている方が多数派ではない。)

確かにアーロイの顔は誰もが認める'いわゆる美人'では無いかもしれない。しかし、それがホライゾンというゲームの魅力・クオリティ・コンセプトに影響を及ぼし、'ポリコレ'作品のレッテルを貼られてもしょうがないような事象なのかと言われれば、筆者はとてもじゃないが同意できない。その理由が以下の通りである。

『Horizon Zero Dawn』の主人公アーロイ

『Horizon Zero Dawn』のキャラクター「エリザベト・ソベック」

アーロイは作中に登場するノラ族と呼ばれる部族の義勇兵で、機械獣やエクリプスと呼ばれるカルト集団、山賊などと激しい戦闘を展開し、崖のぼりも難なくこなすキャラであり、「可愛い・美人な女性」というよりは明らかに「かっこいい女性」として描かれている。つまり美人なキャラクターに描かなかったのではなく、美人に見えるよう描く必要性が無かったのである。ちょうど『進撃の巨人』に出てくるミカサの様なキャラクター(女性でありながら筋骨隆々で作中最強レベルの人間)に覚えるかっこよさを描きたかったと言えばホライゾンを知らない方でも分かっていただけるかと思う。勿論アーロイに対しミカサは明らかに美人と見えるのでアーロイと完全に同一視するわけではないが、「かっこいい女性キャラ」という意味では共通するものはあると思う。

『Horizon Zero Dawn』のキャラクター オーリンの妻 『Horizon Zero Dawn』のキャラクター エリーダ

『Horizon Zero Dawn』のキャラクター イクリー 『Horizon Zero Dawn』のキャラクター 義勇団長 ソナ

そもそも筆者がホライゾンを'ポリコレ作品'の例とされるのにどうしても納得がいかないのは、「アーロイを可愛い・美人と言わなければならない風潮がある」という主張をされるからだ。この記事の最初に取り上げた動画でも「アーロイの顔を不細工と言ったら女性差別、美しいと言わなければならないという'ポリコレ'」といった内容が語られていたが、少なくともホライゾンという作品自体は「アーロイは可愛い」という価値観をプレイヤーに押し付けようという意志は全くない。もしそういった価値観を押し付ける様な意見があれば確かに'ポリコレ'だが、そんなものはごく一部の偏った意見でホライゾンという作品自体の意志ではない。何度も述べてきたようにホライゾンというゲームはアーロイをかっこよく見せようとしているのであって、可愛く見せようとしているのではない。ホライゾンの主人公アーロイの顔は好みじゃないけど実際にプレイしていく中で、そのしなやかな動き・戦闘の華麗さ・なびく髪の優雅さに魅せられ、アーロイというキャラクターに心底愛着を持つようになったプレイヤーがどれほど多かったことか。それがなければホライゾンという作品がここまで人気になることは無かったし、次作に大きな期待が集まることも無かっただろう。続編のアーロイはさらに不細工になったという意見もあるが、仮にその意見が普遍的に正しかったとしてもホライゾンのアーロイの魅力を知っている身としてはそんなことは全く問題にすらならない。ホライゾンをポリコレ作品だという人は本作をしっかりプレイして、本作のこれまで集めてきた評価と経緯を知った上で本当に言っているのか?筆者は甚だ疑問である。

ホライゾンをプレイする上でアーロイを美人だと思う、あるいは思い込む必要など全くないのだ。アーロイにはそれ以上の他のキャラクターには無い魅力があるからだ。「戦う女性像」だろうと「かっこいい女性像」だろうと作品の趣旨に関係なく、女性が主人公なら何が何でも分かりやすい美人でスタイルが良くて…そういった女性キャラであった方が良い、これこそ紛れもない価値観の押し付け・表現の規制に他ならないだろう。勿論、可愛くて美人な女性キャラを操作したい、そういうゲームでなければ自分は嫌だという「好み」「価値観」は大事だし持つことは自由だ。筆者も美人でスタイルが良い女性キャラクターは大好きだし、そういったキャラが出てくるゲームも好んでプレイする。しかし美人に見えない、美人に思えない女性キャラが主人公だったらすぐ「'ポリコレ'認定」、これはいささか安直過ぎるし、意見を急ぎ過ぎだと感じざるを得ないというのが筆者の正直な意見である。

機会があれば『The Last of Us Part Ⅱ』の話や、ゲームとポリコレの関係についてより詳細な話もできればと考えているので、また読んでもらえればと思う。

ポリティカルコレクトネスの一言で切り捨てられないかも知れない製作者達の信条

ホライゾンフォービトンウェストのDLCで、主人公の女性アーロイと突然現れたアジア系ヒロインがゲーム中イベントでキスするそうです。 これへの悪評やユーザーの怒りはなかなかのもので、一時ネットで話題になりましたが、すぐにポリコレの愚行と決めつけられ、忘れ去られていきました。 しかし、なぜこんなものを大真面目に作るのか? そこを掘り下げた記事はありません。せいぜいポリコレを信じているからだという分析のみです。

少なくとも製作者達は、そうするのが正しいと信じ、ゲーム会社に承認されてこれを作った。

そもそも主人公女性アーロイからして、不美人のほうに寄せられた。

原案のアーロイ、そしてモデルになった女性はもっと美人であったという話があります。それをわざわざ上記の画像のようにしたのです。 もっとも製作者達と日本人の美的センスが違うのかもしれません。その可能性は大いにあるでしょう。 しかしそれだけではないかも知れません。

ファイナルファンタジー風のうら若い美男美女が戦う物語は、果たして世界標準なのでしょうか?

日本人の偏りからみて、ホライゾンは離れていただけかも。

アンチ美男美女動物園

少なくとも日本のエンターテイメントでは、売上を確保するために、美男美女を手垢のつくほど使いまわしている現状があります。 ハリウッドもその他の国のエンタメでも同じでしょ? と言われれば確かにそうではありますが、日本は偏りが強すぎるのです。 ハリウッドでは、タクシードライバー、ジョーカーなど、美男美女ではない人の映画も作られています。 容貌が普通な人の映画やアニメは、ぱっと見のキャラ立ちをさせるのが難しくフックに欠けて、特にゲームでは売上を考えると、美男美女に無難にまとめる方向になります。 その結果、美少女動物園と揶揄されるほど美男美女で溢れかえり、日常的に消費しています。 ホライゾンは、そうした方向に真っ向からけんかを売っていると言えるでしょうし、それでそこそこの売上も出しているわけです。

じゃあアーロイにふさわしい男性パートナーとは?

アーロイは男性プレイヤーが没入している主人公である。

男性プレイヤーが十何時間、何十時間とゲーム体験をともにしてきたアーロイの男性パートナーとなると、なかなかに難しいと私は考えます。 まずアーロイより強ければ、アーロイが主人公である必要性はなくなりますし、わりと陳腐です。 次に知恵に優れた男ですが、ヒョロヒョロのインテリにアーロイのように機知で冒険をくぐり抜けた女の相手が務まるでしょうか? かなり造形が難しいですよ。 性格のいい男にしても、ただ人が良いだけでは説得力はありません。 これはゲームの女主人公が常に抱く難題です。 男が惚れるような男、そして冒険をくぐり抜けた女主人公が惚れそうな男の両立は、非常に難しいのです。

ポリコレではなく、男が操作する冒険活劇の女主人公にあてがうヒロイン枠の問題

結局、女主人公でもヒロインをたてるしかなくなるわけです。 レズビアンになってしまうのは、女主人公でゲームを作ってしまった時の解決しにくいヒロインの造形の模索だろうと思います。 そもそも女性はそんなに冒険しないので、冒険する女性が性的な役割で男性の位置を占めてしまうわけです。特にプレイヤーが男性ならなおさら。 この問題は日本でも起こっており戦う女性がレズビアンになりがちなのはこれです。

そうなるとアーロイにお似合いなヒロインはああなる

かくして大真面目につくった結果、燃えた。画面のインパクトが抜群だったから

ポリコレと切り捨てるなかれ

製作者なりのリアリティを通した結果である

冒険アクションでの女主人公が性的役割を超えて男性の代替物になってしまう問題はあれど、ホライゾン製作者達は日本人より真面目に作った結果がこれなのです。ジェンダーを超えたものへのパートナー造形という難しい問題があることが浮かび上がりました。 そして日本の制作物がこの問題から逃れられているのは、キャラ造形の嘘になれているからです。 製作者もユーザーも美少女という嘘、美男美女の嘘になれきっているからだけに過ぎません。 その嘘に耽溺し続けた人が、百合に割って入る男への攻撃性を持つ人でしょう。

ポリコレで迷走しているように見えるが真面目につくる力はあなどれない

美男美女に頼らず、女主人公問題にも向き合った製作者達は、美男美女に逃げるよりは、はるかに努力したとは言えるでしょう。 我々はこうした努力を、ポリコレとバカにしすぎるのです。 不美人なアーロイを主人公にしてゲームを売るというのは、れっきとした多様性であり、解決できていない大きな問題があるものの、エンターテイメントの新しい切り口です。決して侮っていいものではありません。

美男美女に美しいというだけで真善美すべてを負わせることがすでに古い

リアルであることとリアリティは別物ですが、登場人物がすべて美男美女であり、美男美女だけがすべてを解決するエンターテイメントばかりでは、きっとつまらなくなります。 ポリコレと叩くだけで、新しい事をやったホライゾンを見くびるのは、早計ですし、それで日本のエンターテイメントの優勢に満足するのは、すこし危ういでしょう。 我々は、海外の美男美女に頼らないエンターテイメントの作り方に、もっと注目しておくべきでしょう。

 
 
 

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