かたし ぶっ
- Rolf Reeves
- Sep 22, 2023
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十大弟子(じゅうだいでし)とは
十大弟子 じゅうだいでし 釈尊 ( しゃくそん ) の十大弟子として名前があがっている人物は文献によって一定していない。 パーリ 増支部 ( ぞうしぶ ) には十大弟子と限らないで 比丘 ( びく ) 、比丘尼、在家信者の男・女の名前を数十名あげて、「…第一」というように表現して優れた特性を持つものを列記する。 今日知られている十大弟子は 維摩経 ( ゆいまぎょう ) 弟子品にあるもので、 舎利弗 ( しゃりほつ ) ( 智慧 ( ちえ ) 第一)、 大目犍連 ( だいもくけんれん ) (目連 ( もくれん ) 、 神通 ( じんずう ) 第一)、 大迦葉 ( だいかしょう ) ( 摩訶 ( まか ) 迦葉、 頭陀 ( ずだ ) 第一)、 須菩提 ( しゅぼだい ) ( 解空 ( げくう ) 第一)、 富楼那弥多羅尼子 ( ふるなみたらにし ) (富楼那、 説法 ( せっぽう ) 第一)、 摩訶迦旃延 ( まかかせんねん ) (迦旃延、論義第一)、 阿那律 ( あなりつ ) ( 天眼( ( てんげん ) 第一)、 優波離 ( うぱり ) ( 持律 ( じりつ ) 第一)、 羅睺羅 ( らごら ) ( 密行 ( みつぎょう ) 第一)、 阿難 ( あなん ) ( 多聞 ( たもん ) 第一)の10名。 (引用:『岩波仏教辞典』第二版)

彫刻や絵画
例えば、法相宗の興福寺には、奈良時代に作られた国宝の「 乾漆十大弟子立像 」があります。 これは、10人中6人が現存していますが、その中の5人はこの記事内に写真を掲載してあります。
京都の清涼寺には、平安時代の「 木造十大弟子立像 」があり、重要文化財になっています。 同じく京都の大報恩寺には、鎌倉時代の快慶や弟子の行快が作った十大弟子像があり、やはり重要文化財になっています。
また、世界的な版画家、 棟方志功 ( むなかたしこう ) の代表作も「 二菩薩釈迦十大弟子 」といわれます。 文殊菩薩と普賢菩薩という2人の菩薩と、十大弟子を描いた版画です。
メンバー
舎利弗 ( しゃりほつ ) …… 智慧 ( ちえ ) 第一
目連 ( もくれん ) …… 神通 ( じんずう ) 第一
大迦葉 ( だいかしょう ) …… 頭陀 ( ずだ ) 第一
須菩提 ( しゅぼだい ) …… 解空 ( げくう ) 第一
富楼那 ( ふるな ) ……説法第一
迦旃延 ( かせんねん ) ……論義第一
阿那律 ( あなりつ ) …… 天眼 ( てんげん ) 第一
優波離 ( うぱり ) …… 持律 ( じりつ ) 第一
羅睺羅 ( らごら ) …… 密行 ( みつぎょう ) 第一
阿難 ( あなん ) …… 多聞 ( たもん ) 第一
これは、『 維摩経 ( ゆいまぎょう ) 』弟子品に説かれていますが、『 灌頂経 』にも、こう説かれています。
仏また賢者阿難に告ぐ。我が十大弟子に各々威徳あり。 (中略) 仏阿難に告ぐ、舎利弗、摩訶目犍連、大迦葉、須菩提、富楼那、阿那律、迦旃延、優波離、羅睺羅、阿難 」 (引用:『灌頂経』)
十六羅漢とは違うの?
よく「 十六羅漢 」という言葉もありますが、十六羅漢というのは、16人の 阿羅漢 ( あらかん ) という高い悟りを開いた人たちのことです。 この十六羅漢には2通りあります。 『 阿弥陀経 』に説かれる十六羅漢と、『 法住記 』に見える十六羅漢です。
『 阿弥陀経 』の十六羅漢は、祇園精舎でお釈迦様が『 阿弥陀経 』の説法をされた時、そこに参詣していた代表的なお弟子です。 具体的には、順番に、以下の16名です。
賓度羅跋羅惰闍 ( びんどらばらだじゃ )
迦諾迦伐蹉 ( かなかばっさ )
迦諾迦跋釐堕闍 ( かなかばりだじゃ )
蘇頻陀 ( そびんた )
諾距羅 ( なくら )
跋陀羅 ( ばっだら )
迦理迦 ( かりか )
伐闍羅弗多羅 ( ばざらほったら )
戍博迦 ( じゅばか )
半託迦 ( はんだか )
羅怙羅 ( らこら )
那伽犀那 ( ながさいな )
因掲陀 ( いんがだ )
伐那婆斯 ( ばなばし )
阿氏多 ( あした )
注荼半託迦 ( ちゅうだはんたか )
1. 舎利弗 ( しゃりほつ ) ・ 智慧 ( ちえ ) 第一
数ある仏弟子の中でもトップにあげられる、お釈迦様の一番弟子といえば、舎利弗です。 『 般若心経 』や『 阿弥陀経 』は、舎利弗に対して説かれたお経です。
そして『 増一阿含経 』には、このように、智慧第一といわれます。
2. 目連 ( もくれん ) ・ 神通 ( じんずう ) 第一
目連は、お盆のもとになった『 仏説盂蘭盆経 ( ぶっせつうらぼんきょう ) 』のエピソードで親しまれているお弟子です。 舎利弗の親友で、お釈迦様の二大弟子といえば、舎利弗と目連です。
目連は、 目犍連 ( もくけんれん ) ともいわれ、神通第一といわれます。 また、神足第一ともいわれ、お釈迦様は、そのことを『 雑阿含経 』にも『 中阿含経 』にも説かれていますが、『 増一阿含経 』にはこう説かれています。
3. 大迦葉 ( だいかしょう ) ・ 頭陀 ( ずだ ) 第一
大迦葉は、 摩訶迦葉 ( まかかしょう ) とも単に迦葉ともいわれます。 小欲知足で常に質素な生活を送り、「 頭陀第一 」といわれます。「 頭陀 」とは、衣食住に対する欲望をなくすための托鉢を中心とした質素な修行の方法です。 『 増一阿含経 』には、こう言われています。
また『 涅槃経 』には、お釈迦様はあらゆる無上の正法を伝えるように大迦葉に託したと説かれています。
お釈迦様が亡くなられた後は、すでに舎利弗、目連も亡くなっており、大迦葉が仏教の教団を率います。 そしてお釈迦様が生前に説かれた教えを、高い悟りを開いた500人の仏弟子で確かめ合う、 結集 ( けつじゅう ) という会議を発案して議長を務めます。 現在のようなお経が残されているのは、大迦葉のアイディアですから、偉大な業績があります。 大迦葉についての詳しいエピソードはこちらの記事をご覧ください。
4. 須菩提 ( しゅぼだい ) ・ 解空 ( げくう ) 第一
『 西遊記 』では、孫悟空の師匠になっているのが須菩提です。 「 解空第一 」といわれ、お釈迦様の御弟子の中でも、空について特に深く理解していました。 それで空について説かれた般若経ではお釈迦様が須菩提相手に説かれていることがよくあります。 それで孫「 悟空 」というのも、空を悟るという名前になっています。
須菩提が空について深く理解していことについて、『 増一阿含経 』には、こう説かれています。
空というのは、『 般若心経 』でいえば「 色即是空 」の空ですが、空を詳しく説かれている『 般若経 』全般によく登場するのが須菩提です。
5. 富楼那 ( ふるな ) ・説法第一
富楼那は、 富楼那弥多羅尼子 ( ふるなみたらにし ) とも 満慈子 ( まんじし ) とも 満願子 ( まんがんし ) ともいわれます。 五比丘の 憍陳如 ( きょうちんにょ ) の妹の子供です。 憍陳如 ( きょうちんにょ ) の甥ということになります。
お釈迦様のお弟子の中でも、特に法を説くのが上手で、一生の間に9万9千人という最も多くの人に仏教を伝えたために「 説法第一 」といわれます。 そのことについて、『 増一阿含経 』には、こう説かれています。
最後は、攻撃的で悪口を好む人々のいる国へ仏教を伝えに行き、殉教したといわれます。 死んでも伝えずにおれないという決死の信念で布教に挺身したのが説法第一の富楼那です。 富楼那についての詳しいエピソードはこちらの記事をご覧ください。
6. 迦旃延 ( かせんねん ) ・論義第一
迦旃延は、大迦旃延とも摩訶迦旃延ともいわれます。 「 論議第一 」というのは、お釈迦様の教えを一番分かりやすく解説できたということです。 特に。お釈迦様が活躍されたよりも西のほう、仏教がまだ伝えられていないところへ行って仏教を伝えました。
7. 阿那律 ( あなりつ ) ・ 天眼 ( てんげん ) 第一
阿那律はお釈迦様のいとこで、十大弟子の中で唯一の盲目の僧侶です。 出家してしばらく経ったある時、お釈迦様のご説法中に居眠りしてしまった阿那律は、二度と寝ないという誓いを立てました。 それは、ご説法の時だけでなく夜も眠らなかったため、やがて失明してしまいました。 ところが、肉体の目を失ったことによって心の眼が開き、「 天眼第一 」といわるようになりました。 阿那律についての詳しいエピソードはこちらの記事をご覧ください。
8. 優波離 ( うぱり ) ・ 持律 ( じりつ ) 第一
優波離はウパーリともいわれ、もと美容師でした。 率先して戒律を守ったため、「 持律第一 」といわれます。 『 増一阿含経 』には、こう説かれています。
お釈迦様に戒律について質問して直接ご教導を受けていたこともあり、お釈迦様が亡くなられた後、 結集 ( けつじゅう ) では、阿難がお経を暗唱したのに対して優波離は戒律を暗唱しました。 ウパーリについての詳しいエピソードはこちらの記事をご覧ください。
9. 羅睺羅 ( らごら ) ・ 密行 ( みつぎょう ) 第一
羅睺羅は、ラーフラともいわれ、お釈迦様が出家される前、耶輸陀羅姫との間に生まれた子供です。 まだ小さいうちに、お釈迦様は出家されましたが、やがて仏のさとりを開いて帰ってこられた時に、史上初の沙弥 ( しゃみ ) となりました。 沙弥とは少年僧のことです。
他人が見ていないところでも真面目に戒律を護り、修行を続けたため、「 密行第一 」といわれ、やがて十大弟子の一人になっています。 ラーフラについての詳しいエピソードはこちらの記事をご覧ください。
10. 阿難 ( あなん ) ・ 多聞 ( たもん ) 第一
お釈迦様が仏のさとりを開かれて、はじめて故郷のカピラ城に戻ってこられた時に出家しました。 それからしばらくして、お釈迦様が亡くなられるまでの20年間は、いつも近くでお仕えしたので、「 多聞第一 」といわれます。 お釈迦様から最も多くの教えを聞いたということです。
記憶力は抜群で、過去に聞いた教えをICレコーダーのように暗唱することができたのでお釈迦様が亡くなった後、仏教の教えを残す 結集 ( けつじゅう ) では、叩き台として「 私はこのように聞きました 」と仏の教えを暗唱する係になりました。 それを聞いていた500人の仏弟子が全員承認した教えが、お経として残されました。 この阿難の正確無比な記憶力によって、お経が今日に残されているのです。 阿難についての詳しいエピソードはこちらの記事をご覧ください。



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